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おなじこやのなかま

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なつめです♪ 以前色鉛筆で描いた絵本(?)をリメイクしてみました。苦手な色塗りを頑張ったので、たくさんの方に楽しんでもらえたら嬉しいです♪

いつもより多めに転がっています

チョロいやつ

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なつめです。 トフィーさんにはかなわないなと思った最近の出来事です(笑)
ツイッターアンケートの結果では「トフィー四コマ」を描く予定でしたが、四コマに収まらなかったので初の六コマにチャレンジしてみました♪

【次回予告】5月21日(日)はトフィーの個人記事を更新です!

「不謹慎」「自粛」~誰のためのもの?~

なつめです。東日本大震災から6年。熊本大地震から、1年が経過しました。この機会に、以前から違和感を持っていた「不謹慎」「自粛」という言葉について、自分なりに考えてみました。

大きな災害や痛ましい事件が起きた直後には、必ずと言っていいほど「不謹慎」という言葉を耳にします。
例えば・・・

①笑顔の写真をSNSに投稿した有名人がバッシングされる。
②被災地から離れた場所であっても「自粛」という名の元に、コンサートやイベントが軒並み中止になる。

これらは震災後に、実際に見られた状況です。
では、人はなぜ「不謹慎」と感じ、「自粛」するのでしょうか?

強い共感が感情を揺さぶる

一つの理由は、当事者への強い共感です。
共感力の高い人は、テレビなどで被災地の様子を見聞きするうちに、住む家や家族を失い、日々の食糧にも事欠く大変な状況を、自分の事のようにリアルに思い描き、とても楽しめるような心境ではなくなってしまうという訳です。
また、そのような状況の人がいる中で、自分だけ美味しいものを食べたり、楽しんだりする事に対する強い罪悪感が、楽しむ事=悪という発想を生み、「不謹慎」という言葉に繋がっていくのだと思います。

適度な共感は、苦しんでいる人の感情に寄り添い、その方の気持ちを癒す事にも繋がります。とても良い事だと思います。
しかし、共感も行きすぎると、自分の心を疲れ果てさせてしまうので注意が必要です。
共感疲労といって、直接的にその出来事を体験したわけでもないのに、擬似体験によってトラウマを抱え、強いストレス反応が起きてしまう事態にもなり得ます。

また、過剰な共感は他者への攻撃性に形を変える場合もあります。
自分が自粛するのにとどまらず、買い物をしたり、美味しいものを食べたり「普通の生活」を営んでいる人が許せなくなる。その人たちは人の痛みや悲しみを何とも思わないのか、と憎しみの気持ちが湧いてくる。そういう極端な感情の動きが「不謹慎」という言葉になって表れたのが①のパターンだと思います。

事なかれ自粛

自粛の中には、「やめておいた方が無難だろう」という種類のものも多くあると思います。
②のコンサートやイベントの中止のほとんどはこれにあたるでしょう。クレームを未然に防ぐための「事なかれ自粛」です。

イベントを決行した場合のメリット、デメリットを考えるのは企業としては当然の事。
もし予定通りに開催すれば、先程述べた、強い共感により攻撃的になっている人たちや、ここぞとばかりに集まってくるクレーマー気質の人たちからの非難は避けられません。その上、参加を見送る人も多く出て収益自体も予定通りとは行かないでしょう。企業イメージも悪くなる可能性があります。

また、個人としての「事なかれ自粛」も少なくありません。
美味しいものを食べたり、楽しんだりする事自体は悪くないと思うが、それを不快に思う人がいるから写真をSNSにアップするのは辞めておこう。さらには、トラブルやイメージダウンを避けるために、その行動自体を自粛する人もいます。

でも、ちょっと考えてみてください。
この「不謹慎」とか「自粛」って、本当に当事者たちのためのものなのでしょうか?

「不謹慎」「自粛」~誰のためのもの?~

例えばこんな状況を想像してみてください。
2人で山を歩いていて、あなたが崖から転落し大怪我を負ったとします。
一緒に歩いていた友人は、それを見て
「あなたが痛い思いをしているのに、私だけが自由に走れるなんて!そんな事許されない!」
そう叫ぶと、近くにあった木の枝を手に取り……

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いやいやいや、何すんじゃいっ!てそりゃなりますわ。
自分で傷つけて同じように歩けなくなった足で、折り重なって共に衰弱し、
「あなたの痛みはわたしの痛み」
いやいやいや、そんなこと望んでませんからっ!てなりますわ。
出来るなら、その足で助けを呼びに行ってほしいし、救助を待つ間その人が飲み水や食糧を調達してきてくれたなら本当に感謝すると思います。

わたしが不思議に思ったのは、「不謹慎」と声をあげている人たちは、往々にして被害の当事者ではないという点です。当事者からの声もあるにはあったのでしょうが、わたしの耳に届いたのは、言葉は悪いですが「部外者」からの声ばかりでした。
むしろ、被災した方々からの「自粛しないで」という言葉の方がたくさん聞こえてきたくらいです。
もしかしたら、山道で怪我をした人と同じように「一緒に衰弱しないでいいから、しっかり助け呼んできて!食糧運んできて!」っていう心境だったのかもしれません。

「自粛する事は被災地の人たちのためにならない。経済をガンガン回していかないと!」最近よく聞く意見です。
このイラストは非常に分かりやすくて納得できました。

 

ただ、この事を頭で分かったとしても、共感力の高い人は心が辛くてその考えについて行けないんだと思います。
誤解を恐れずに言えば、わたしはその人達はそのままでいい!と思っています。
それは、支援する側も、される側もみんなそれぞれに違った個性や必要を持つ人間だからです。
共感して感情に寄り添ってくれる人の存在に救われる人もきっといる。そして、変わらぬ日常を継続し、経済を活性化するという別の形での支援に救われる人たちもきっといる。そう思うんです。

だから、「共感し過ぎて辛いよ派」の人たちは、普通の生活を継続している人を「血も涙もない!この人でなし!」と感じたとしても、その人たちを不謹慎と非難したり、自粛を強要してはいけない。自分は自粛するけど、あの人たちはあの人たちで、別の形で復興に貢献しているんだなと認める。
反対に、「ガンガン経済回していこうぜ派」は、共感ゆえに自粛せざるを得ない人たちを不合理だと責めるのではなく、そういう人たちも居るのだということを認める。
それぞれがそれぞれに、自分に出来る方法で支援を行っていけたなら素晴らしいなと思います。

個人的には、自粛するよりもアクション起こす方が難しい、腰が重い性格(ツイッターで最近流行っているエムグラム診断で言われました)なので、もっと積極的な方向で助けになれるように自分を律して行きたいと思っています。

非常時における「共感し過ぎて辛いよ派」と「経済回していこうぜ派」、これ、平行線になりがちな話ですよね。それを両方認めて、互いに非難するのは無しにしよう、というなつめさんの意見、とても腑に落ちました。多種多様な支援の仕方があるし、多種多様と言い切れるだけの多くの人材がいて、様々な支援が可能である…ヒューマニズム的に言えば、その事実が既に素晴らしいことなのかもしれません。

【次回予告】5月17日(水)
なつめによる小ネタ更新です♪

トフィー、「ていねいな暮らし」を始める。

「太陽のパスタ、豆のスープ」という小説がある。宮下奈都さんが書いたものだ。
20代後半の女性「あすわ」が、婚約者に婚約破棄されたところから、物語は始まる。幸せの絶頂から不幸のドン底へと落とされたあすわが、「ドリフターズ・リスト(やりたいことリスト)」と、周囲の人々との交流を支えに、少しずつ回復し、自立した大人として成長する物語だ。婚約破棄という暗い始まりをするにも関わらず、軽妙で明るい文体が、読者を心地よい没入感へ誘う。

この「あすわ」が、やりたいことリストの中で、一番最初に実現したのが、「一人暮らし」だった。
生まれてからずっと実家暮らししていたあすわが、叔母の「ロッカ」の手配の元に、トントン拍子に一人暮らしを始める。その後、少しずつあすわが「生活力」を身につけていく様が、とても微笑ましく頼もしい。

❇︎〜〜〜❇︎〜〜〜❇︎ここまでが本のご紹介です。❇︎〜〜〜❇︎〜〜〜❇︎

この小説は、一年前に読んでいたものですが、つい最近再読していました。今の自分と、あまりにも重なるので(失恋や婚約破棄などはしていませんよ 笑)。
私もようやく実家を出て、一人暮らしを始めたところです。

私は「仕事を頑張りたい」「結婚?興味ない」と、常々言っていますし、今でもその気持ちは変わりません。だから、結婚に必須である、家事スキルも興味なかったのですね。

だけど、一人暮らしを始めたら、この細々とした家事の楽しいこと。
料理、洗濯、洗い物、掃除…これらを丁寧かつ効率的に行うことが、すごく楽しいし、「今、地に足をつけて生きている」という実感に繋がっています。
実家を出る前までは「家事なんて面倒臭い」と思っていたのですが、「毎日やらなくちゃいけない」ということが、自立した大人としての自分の楔になっているような気がします。

あと、こだわりの家具や雑貨を使って生活を回すから、楽しいのだと思うのです。ナチュラルでシンプルな食器でご飯を食べるのも、天気のいい日にブラウンのワイヤーのランドリーバスケットで洗濯物を干すのも、調えられた家具のある部屋を掃除するのも、全てがワクワクします。

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高い雑貨やインテリアを使っているわけではありません。無印良品や百均やAmazonを活用しまくってるし。
だけど、自分が「これ使って家事したいなぁ」と思ったもので家事をするのは、幸せな気持ちになれるものですね。

何だかようやく大人になれた気がします。

次回予告
5月14日(日)はなつめの個人記事「不謹慎~誰のための言葉?~」です。

干物とキラキラ女子と既婚女子と〜上から目線の心理〜

こんにちは、トフィーです。過去、友人とマウンティング合戦してた頃、心が荒みすぎて、広告すらマウンティングに見えるようになっていました。

こんにちは、なつめです。マウンティングという言葉をトフィーさんから教わり、「えーわたしマウンティングされた事ないわ」ってノンキな事言ってたら、気づいてないだけでした。気づかないは最大の防御。

ていうか聞いてくださいよ!なつめさん!

なになに?トフィーさんまたですか?

先月の対談に引き続き、また解せないことがあったのですよ!

解せないこと多すぎません?でも気になります!

社会的な問題意識の高い干物女なので(ドヤァ)

実は、この前友達の結婚式に行ってきたんです。そしたら、他の出席していた友人も、春に結婚する、という話を聞きまして。

おっ!結婚ラッシュですね。めでたい!

だから私も素直に「おめでとう!」と伝えたら、「トフィーちゃんも幸せになれるといいね!」ですって!!!

うわー来ましたね!わたしもよく言われます。
相手の方は「幸せになる(=良いパートナーが見つかる)といいね」という意味で、あまり深くは考えずに言ったんでしょうけどね。

仕事も充実しているし、ブログも楽しいし、めちゃくちゃ幸せなのに、その友人にはわかってもらえなかったようです…。

自分の思うものとは違う「幸せの形」を受け入れられない人って多いですからね。その友人が考えるように、「結婚していない=幸せではない」と捉えてる人は多いように感じます。

干物女やってると、結婚や恋愛の話題で、やたら「上から目線」で慰められたり励まされたり、酷い時は説教されたりするのですよねー!

あるある!その事はわたしも疑問に感じて、過去記事にも書いたんですよね。

 

himojo-zemi.hatenablog.com

 

(これも私の話なんだよなぁ…)
せっかくですから、上から目線のエピソードを共有して、どうして上から目線が発生するのかについて、考察し合いましょう。

パワハラ上司からの恋愛格付け!

元上司の40代女性から受けた上から目線です。
飲み会の席で、同僚男性との仲を取り持つ感じで「アドレス交換しなよ」と迫られ、わたしの乗り気じゃない態度を見てとるとこんな風に言われました。
「なつめちゃんも女の子とばっかり遊んでちゃダメ。そんな事じゃいつまで経っても彼氏出来ないわよ?そこから繋がる御縁もあるんだから」
その上司、わたしのプライベート何も知らないんですよ?!わたしの何が分かるの?!男の子と遊びまくりかもしれないじゃないですか?!
……遊びまくってなかったですけれども。

その上司、恋愛マスターぶっていますね!(笑)
①余計なお世話でしかない、お見合いおばさん的行動
②なつめさんの男性との交友関係を「少ない」と勝手に決めつける
③①・②から読み取れる、「私は恋愛上級者」という驕り
こんな風に分析推測しました。

恋愛マスター?!まあ既婚者の彼女からしたら私なんて恋愛ベビーに見えたんでしょうね……。
ただ、普段は感情のままに威圧的な扱いをされる事が多かったので、このアドバイスも素直に善意のものとは受け取れませんでした。

常日頃のパワハラ、望んでもいない相手との連絡催促…。正直、なつめさんのことを「格下」扱いしていたのでしょうね…。
そんな上下関係の下地があったからこそ、上から目線でなつめさんの異性関係について断じてきたのかなーと思います。

確かに仕事においては、彼女は上司なわけですから、わたしは間違いなく「格下」なんですよね。
でもその上下関係をプライベートにまで当てはめられたり、人間として「格下」という扱いをされたりするのって、やっぱり気持ちのいいものじゃないですね。
トフィーさんも何か上から目線な扱いを受けた経験ってありますか?

居住地自慢と見下しの合わせ技!

知人女性Aのエピソードです。
私、つい最近、引っ越したのです。慣れない一人暮らしなので、一人暮らしに関する様々なトラブルを調べていました。
それをAに話したら、「私が住んでるところ、そんなトラブルないわぁ。◯◯区(人気住宅エリア)だから、周りの住民の質が高いのかもしれないけどーそっちは大変だねー」と…。
いや、単にトラブル起きないように事前予習しているだけなのに、何で「住民の質が悪い」なんて決めつけるんだよ…失礼すぎるだろ…と、なりました。正直、今後の交友関係をどうしようか悩みます。

念のために予防しているだけで酷い言われよう!!
Aさんは自分の住んでいる場所の良さを語っているように見せて、そこに住んでいる自分の経済力をアピールしているように見えますね。住む地域を選ぶのには様々な要因があると思うんですけど、ここでも「◯◯区に住めないトフィーさん」と決めつけて、「格下」扱いしているように感じますね。

それな!!!!
確かに◯◯区なんぞに住める経済力はありませんよ!それは認めますが、だからって悪意ムンムンで人を見下していい道理があるはずがない!

そうですね!
都会の人気住宅エリアにはそこの良さが、私が住んでるような田舎の家には田舎の家の良さがあると思うんですけど、彼女達は「これもあれもいいね」という考え方は出来ないんですかね?!全てにおいて「格上」「格下」というランクをつけてるみたいで、窮屈じゃないのかな。

マウンティングに通ずるところがあると思いますが、恋愛なり居住地なり、全て自分の土俵…1つの数直線上で自分と相手の価値を決めつけていますね。

まとめ

1つの数直線上で、「格上」「格下」を決めつける、上から目線の人々。
彼ら、彼女らの価値観って、とても単線的だと思いませんか?

単線的?どういう意味ですか?

単線の列車をイメージしてもらえると、わかりやすいかも。
行き先は1つしかなく、どの列車も同じ線路で、そこを目指す。違いは到着が早いか遅いかでしかない。だから、自分より後続の列車があれば、「あなたもいつか私の通った線路を走るのね」という見方をする。
と、こんな風に自分と周囲を捉えるから、自分よりも後ろを走っている(と彼ら彼女らは思い込んでいる)人に対して、格下扱いの上から目線トークを繰り広げるのではないか、と推測しています。

なるほど!みんなも自分と同じものを望んだり、追い求めたりしていると信じて疑わないからこその上から目線なんですね。

その通り!実際は、一人ひとり目的としていることは異なるものです。しかし、彼ら彼女らは、「別の目的を志している」ということを理解しないのです。
先ほどの列車の例を使うなら、彼ら彼女らにとって、別の目的地を目指そうとしている人は、「極端に遅れている、もしくは脱線しかかっている列車」のように見えてしまうのでしょうね。

納得いきました!
「こらこら。どこ行ってんのよー。トフィー、なつめ、目的地はそっちじゃないぞ♡」
っていう気持ちで接しられていたんですね!?
でも人の価値観はそれぞれ。みんながみんな同じ方向を目指している訳じゃなく、それぞれの道にそれぞれの良さがあると思うんです。
それを「わたしはこっちに行くけど、そっちの道もいいね」って認められないのは何だかもったいないですね。

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多くの人は、「みんな違って、みんな良い」ということを、頭では理解しているのだと思います。しかし、いざ自分の重要な価値観のことになると、急に単線的な見方をしてしまうのかもしれません。
人によって目的地も、通る線路も異なること…つまり「複線型」の見方がもっと当たり前になってくれると良いのですが。

そうですね。普段は「複線型」の見方をしている人でも、殊に恋愛や結婚においては「単線型」の見方になってしまう人がとても多いように感じます。
色々な価値観が認められたら、人生がもっと豊かになりそうですよね。

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次回予告
5月10日(水)はトフィーによる小ネタ更新です。

自分の誕生日が好きになれなかった私の話

心無いことを言う人たちが世の中にはたくさんいる。
例えば、わたしの誕生日を知ったある大人はこう言った。
「祝日だし、医療費高かっただろうね」 冗談なのだと思いたいが、
「親不孝だね」
とも言われた。 冗談にしては面白くなかったが、その人が笑っていたので、わたしも笑った。

わたしの誕生日は1月1日だ。

まるきり本気にした訳ではない。
それでも、その言葉は喉に引っかかった魚の小骨のように、小さな痛みと少しの罪悪感を連れてきた。

大人になってからも、その言葉は時々浮かんでは消えた。
成長と共に、言われた言葉だけが残り、変な痛みや罪悪感は消えていった。

 

ある日、父の晩酌に付き合いながら何の気なしに言ってみた。
「元旦は出産費用が高いから、親不孝者だって何人かに言われた事あるよ」
別に面白くはなかったが、わたしは笑いながら言った。

父はそれを聞いても笑わなかった。
面白くない冗談だったかなとバツの悪い気持ちになり、それを隠すように酎ハイを飲むと、とうに無くなったはずの小骨がチクリと痛んだ気がした。

 

父は無口な方なので普段からあまり多くは話さない。その父がポツリポツリと話し始めた。

 本当はなつめが生まれるのは12月20日頃の予定だったんだ。
お母さんが入院している間、お姉ちゃんの面倒を見るために、仕事の休みをとらないといけない。でも、年末は仕事がたくさんあるから同僚に迷惑をかけることになる。
どうしようかと思っていたら、ちゃんとなつめは、お父さんの休みの日を待って生まれてきてくれたんだよ。
不思議だけど、なつめの妹もそうだった。うちの子たちはみんな親孝行ないい子たちだよ。

 

別に面白い話ではなかったけれど、父はそう言って笑った。
それを聞いてわたしは悲しくもないのに泣いた。

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1月1日。
冬休み真っ只中なので、友達に祝ってもらったことはほとんどない。
この小さなイベントは世間の大きなお祭りにかき消され、忘れ去られていく。
年賀状のあけましておめでとうのついでに、申し訳なさそうに添えられた「ハッピーバースデー」にももう慣れた。

それでもわたしは自分の誕生日が好きだ。
「他の日なら誕生日特典たくさん使えただろうなあ」 時々愚痴る事もあるけど、やっぱりこの日に生まれて良かったと今は思っている。

だから
「誕生日いつ?」
その質問に答える時は、褒められた子供のようにいつも少し誇らしい気持ちで答える。

「1月1日だよ!」

なつめです。色々な家庭があるのは承知の上で、全ての人が自分の誕生日を好きだと思えて、その日が親に感謝できる日であったらいいなと思います。
時期外れなのは、プレゼントの催促ネタだと思われないためです(笑)

【次回予告】5月7日(日)「上から目線で見下したくなる人間心理」対談形式でお届けします♪

人間観察されるのは怖い

皆さまごきげんよう、トフィーです。ちょっと自ブログのアンチテーゼみたいな話をしたいと思います。先週のなつめさんの記事に引き続き(笑)

人間観察されるのって怖い

過去に出会った人の中で、人間観察において「自分以上だな」と思わされた方がいました。かつての同僚です。彼女は一見すると、少しのんびりした性格の人でした。しかし、ある日、彼女の鋭い観察眼を知ることになります。

それは少数の飲み会でのことです。雑談の流れから、自分達の部署の人間関係の話になりました。すると、彼女は、部署内の複雑な人間関係の機微について、事細かに話すのでした。

「あの2人は、部長の歓心を買おうと、内心で競い合ってますね」
「あの人はすごいプライド高くて、マウンティングもひどいのですが、ツボは抑えやすいですね」

こんな風に彼女が語るとき、彼女自身の感情に何の揺らぎも見えないのです。通常だと、人が自分の周りの人間について語るときは、その話者自身の感情が表に出るものです。例えば誰かが「あいつはできる、できない」と言っているとき、本人の驕り高ぶりが表情や声色から透けるものです。
しかし彼女の話しぶりから、そういった感情は読み取れないのでした。完全に隠しているのか、無いのか…。恐らく後者だと思っています。彼女は、まるで宇宙人が地球人を観察するかのように、ニュートラルに観察しているように見えました。別の生き物のことだから、本人の感情は刺激されない。淡々と周囲の行動を観察し、その心の動きを推測する…そんな風に見えました。
人間観察を得意とする人には今までにも会ってきたものですが、恐怖を覚えたのは初めてです。観察の鋭さもそうですが、彼女自身の感情の揺らぎが見えなかったことが、何より怖かったのです。

「一体、あなたに何の得があって、そこまで人間観察してるの?」

と、尋ねたくなりました。きっと、損得ではなく、もしかしたら好奇心ですらないのかもしれません。彼女の感覚器があまりにも敏感すぎて、周囲の情報を拾い上げてしまう。そんな風に見えたのです。

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「自分の身を守りたい」「人間って面白い」という動機で人間観察をしている私とは、似ているようで非なる人でした。そして私が慄いたことにも、彼女は気付いたのでしょうね。最初は「この人、私と同種かも!」と思ってワクワクしながら聞いていた私も、心に恐怖が浮かび始めました。すると、自然に人間観察の話は終わったのでした。私の気持ちを察した彼女が自重したのかもしれません。決して表情や声色には出していないつもりだったのですが…。

人間観察をされるのが怖い理由

人間、誰にだって「周囲からこういう人間だと思われたい」という欲求があるものです。有能だと思われたい、個性的だと思われたい、モテると思われたい…こんな具合で。
そして、この、「◯◯と思われたい」という欲求が、その人の弱点でもあるのですよね。
誰かから「あなたは◯◯ですよね」と言われれば、とても喜んでしまうでしょう。だけど、その発言が、心から出た言葉ではなく、観察から「こう言われたいんだな」と思われたゆえの発言だとしたら…。
その発言者の意図を考え込んでしまいます。

人間観察してくる人達との付き合い方

「人間観察ゼミ」を謳っているやつが、こんなことを書いて良いのか…(笑)

人間観察を得意とする人達と付き合う上では、「取り繕わない」ことが一番だと思います。先述した彼女と私の共通点だったのは、「何かを取り繕っている人」に対して目が向きやすい、ということでした。

「この人、発言と行動が一致していないな」
「この人、とても強い言葉を使っているけど、その割に気が弱いな」

こういう違和感を覚えると、その矛盾の理由を解明したくて、つい観察してしまうのです。

反対に、自然体で取り繕っていない人に対しては、好意的な目を向けやすいです。取り繕わない、ということが、どれだけ難しいことか、よくわかっているから。

人間観察している・されている、ということを抜きにしても、自然体で振る舞える人というのは魅力的です。「マウンティング」なんて言葉が流行った点から見ても、「周囲より上でありたい」と虚栄心が膨らみがちな現代社会で、自然体で無理なく振る舞える人は、自分の軸をしっかり持っている人だと思います。

そんな素敵な人と友達になりたいなぁと思いつつ、マウンティングや虚栄心が渦巻く現場を見かけると、ジャーナリスト精神発揮して観察してしまう、悪い癖…。

自分の隠した本音を見透かされると思うと、確かに観察されるのは怖い(笑)でも観察する側としては、それだけ「人間に興味がある」「人間が好き」って事なんですよね。もちろん、いつも自然体な人は魅力的ですが、多面性があるというのもまた、奥が深くて魅力的だなと感じます。

【次回予告】
5月3日(水)はなつめの小ネタ更新です。