ENFPの人物像

こんにちは、トフィーです。いつもは強い問題意識をもって、周囲を観察し、自分の考察をまとめて記事にするのですが、本日はMBTIをネタに、自己観察しようと思います。
※MBTIテストについてはこちらのリンクを参照:無料性格診断テスト | 16Personalities

ENFPとしての自分

私はWebでMBTIテストをやると、毎回ENFPになるくらい、典型的なENFPです。
※ENFPについてはこちらのリンクを参照:“広報運動家”型の性格 (ENFP-A / ENFP-T) | 16Personalities

ENFPタイプの人は、Ne(外向的直観)、Fi(内向的感情)、Te(外向的思考)、Si(内向的感覚)と呼ばれる心理機能を有している、とされています。
※心理機能についてはこちらのリンクを参照:心理機能 - キャラクター性格診断スレまとめ Wiki

これらの機能が発揮されてる場面を思い返して、ENFPの具体像に迫ろうかと思います。

第一の心理機能:Ne(外向的直観)

大きな視野に立って客観的に情報を受容する心理機能です。 ひらめきによって背後で働いている力学や関連性を捉え、全体像を俯瞰します。

キーワード
本質を見抜く、ひらめき、インスピレーション、洞察、推測、 賢い、機知、機微、多角的、包括的、創造的、抽象的、理論的、可能性、アイデア、概念、 全体像、意味を捉える、図形で考える、シンボル、多様性、広い視野、知的好奇心、試行錯誤、臨機応変、オープン、 客観的、普遍的、先入観なし、議論好き、ブレインストーミング、チャレンジング、 比喩、類似性、応用、解決法、風変わり、奇抜、新規性、新しい組合せ、法則、パターン認識、傾向認識、イノベーション、創意工夫、 飽きやすい、興味が移ろいやすい、チャーミング、遊び好き、新しい人間関係

心理機能 - キャラクター性格診断スレまとめ Wiki

これは自分でも強く自覚している機能です。

物事は全体観から捉えたい気持ちが強く、「目の前のこと」しかわからない状態に苛立ちや不安を覚えます。例えば仕事でも、「今日これやっておいてね」という指示だけがある状態だと、「一体何のための仕事なの?どのくらいのペース配分でやればいいの?それをやり終わったらどうしたらいいの?」と、一気に不満が噴出してしまいます。逆に、業務の全体観と、その中の自分の位置付けがわかれば、あとはパズルのように、スケジューリングやアウトプットイメージ、誰とコミュニケーションを取るべきか、そういった業務遂行のための要素が勝手にはまります。その瞬間が、私にとっての仕事の醍醐味でもあります。

また、未来の可能性や変化に対して好意的です。移ろい変わるものが大好きです。

そして、具体的事象の背景にある本質を構造的に理解することを好みます。概念化万歳。もっとわかりやすく言うと、経験よりも理論を重視します。

Neは、基本的に頭脳活動の心理機能です。その代償か、身体活動に対する興味ははほぼ壊滅していますね。運動きらーい。

第二の心理機能:Fi(内向的感情)

内向性の心理機能なので、自己の内面に意識が向けられます。 感情の心理機能なので、どのように感じるかということを基準として判断し意思決定を行います。

キーワード
心の調和、親切、優しさ、強さ、忍耐、傾聴、感情移入、共感、愛情、忠誠心、 慈悲、援助、人情、倫理、モラル、善悪の判断、価値、意味、 真偽の判断、正義、審美眼、美的センス、感性、感動、畏敬の念、情熱、決心、印象を捉える、心の本質を見抜く、 養育、保護、擁護、弁護、個性、傷つきやすい、感受性、感傷、覚悟、内面の体験、独立した価値観、独自の基準、 懐疑的、本物を求める、率直、高い理想、多様性、真心、利他、是正、尊厳

心理機能 - キャラクター性格診断スレまとめ Wiki

これも自覚あります。

基本的に、何かを判断するとき、「やっぱりこれが好き!」ということが決め手になります。そして、そういう自分の感情に従って決めた物事は、上手くいきます。反対に、感情を無視して合理的に考えて判断した物事は失敗することが多いです。

また、意外に思われるかもしれませんが、あまり自分の深い本音を話しません。「内向的感情」の文字通り、自分のアイデンティティに関わるような深く強い感情ほど、自分の内側に入り込んでしまい、外側には向かいにくいです。心理的危機に陥ったら、さすがに信用してる人に相談しますけどね。
逆に言うと、多数の周囲にむかって発露している感情は、あまり深刻なものではないことが多いです。「話せる内は大したことない」を地で行っています。

あと、個性や多様性をナチュラルに認めています。一時期、LGBTの差別についてやたら話題になりましたが、私からすると、「そもそも何でLGBTに対して違和感を持つのかわからん」という感覚です。同性愛者やバイセクシャルの友人や知人は何人かいますが、今までそれを理由に付き合いが変わったことはないし、変える気になったこともありません。
というか私自身も結婚観について共感を得られたことがあまりないので、セクシャルマイノリティーに属するのかもしれません。そしてそんな自分がおかしいとも思っていません。

第三の心理機能:Te(外向的思考)

外向性の心理機能であるので、注意は外部に向けられます。 思考の心理機能であるので、理論や原理原則に従って、効率的で合理的な意思決定を行います。

キーワード
外的秩序、公平、率直、客観的評価基準、規律、ルール、命令、原理、原則、審判、慣習的手法、実用性、実践、目標、 客観的推論、因果関係を捉える、合理性、効率、順序、配置、計画、資源配分、平行処理、責任、実行、努力、積極性、勝負、平定、 賞与、処罰、叱責、信用、遠慮無し、集団行動、権威主義官僚主義、追従、権力志向、宣伝、 マネージメントスキル、リーダーシップ、フォロワーシップ、決断、システム構築

心理機能 - キャラクター性格診断スレまとめ Wiki

この記事を書いている今は30歳なんですけど、この歳にして、ようやく自由に扱えるようになったかな、という印象があります。

というか仕事の特性上、この心理機能をめちゃくちゃ鍛えられるので(仕事は経営コンサルタントです)、それで能力開発された感もありますが…。

合理性、効率性、機会の平等…私が大変重視している価値観です。これらを実現した仕組みを構築することに、強い喜びを覚えます。
不思議なもので、先に紹介したNeやFiを使って実現できることよりも、Teを使って実現できることの方に、達成感ややり甲斐を感じます。
心理機能としては三番目の機能であり、やや使い慣れていないからこそ、ハードルが高くて燃えるのかもしれませんね。

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第四の心理機能:Si(内向的感覚)

私たちは、眼、耳、鼻、舌、肌のそれぞれの感覚器官を通して、 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感を得ることができ、外部の情報を受け取ります。 また、体内から様々な情報を受けとり、自分自身の肉体の存在に気がついています。 そして、経験したことを記憶しています。

その記憶は、現在の体験と関連する過去の体験を比較するときに必要となります。 今現在の経験はすぐに前回の経験と結び付けられ、 似ている点や異なる点が新たに記憶され整理されます。

各時点での経験と記憶を繰り返し比較することで、 この世界についてのイメージがより鮮明で広がりをもったものになってゆきます。 個人的な経験によって蓄積された記憶は知識の源となり、日常的に「すべきこと」を思い起こさせます。

キーワード
習慣、馴染み、歴史、伝統、文化、既存、規範、信頼、粘り強い、仕事を終わらせる、詳細、記憶、連想、現実、イメージ、 経験、過ちを繰り返さない、注意深い、ミスを避ける、慎重、データをよく見る、保存、備え、蓄え、 安定、郷愁、懐かしさ、いつもと同じ道、質実剛健、義務、誠実、忠誠、従順、保護、守備、安全、 ガイドライン、古くからの親友、身体感覚、自己の存在感覚

心理機能 - キャラクター性格診断スレまとめ Wiki

第四の心理機能であるSiを使いこなすことは、私の人生の課題でもあります。

キーワードとして羅列されてること、基本的に苦手です(笑)
詳細確認するのは嫌いだし、データをよく見るのも嫌いだし、安定とかつまらないし…。

だけど、たまに、効果的にSiが発揮されることがあります。
例えば「記憶」ですが、これは昔から割とよく使っていました。特に自分や周囲の感情と結びつく記憶は忘れにくいです。きっとFiと連動してますね。

また、Siは「分類」することにも関わる心理機能らしいのですが、これも得意ですね。整理整頓大好き。
Neが強いタイプは整理整頓が苦手な傾向にある、という解説をどこかで読んだことがある気がしますが、私はそんなことはないです。というのも、整理整頓された状態をNeを使って思い描き、それが理想像となり、その理想像に引っ張られる形で、整理整頓に必要なSiが働いている、という感じです。

こう見ると、Siは他の機能と連動する形で働いていますね。
一般的に、第四の心理機能を使うことは、右利きの人が左手で文字を書くようなものなので、うまく操ることができないものです。だから、得意な第一機能や第二機能に引っ張られる形で使用すると上手く行くのかもしれません。

ENFPの人物像

ここまで心理機能別に説明してきましたが、これらを統合して捉えると、
①見聞きした情報の全体観を捉え、そこに可能性や変化、本質を見出し、
②それを受けて自身の内面で深い感情の動きを見つめ、方向性を判断し、
③判断した方向性について、効率性や合理性をもって実現できる仕組みを構築する
④また、①〜③の働きの裏側には、今までの記憶や蓄積があり、活用している

こんな感じでしょうか。
他のENFP の方にもぜひご意見いただきたいですね。

以上、ENFPについての記事でした。

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論理センスが高い人は論理的であることを論理的に説明できないから、トフィーが代わりに論理的とは何かを説明する

トフィーです。本日は、周囲の論理的すぎる人たちを観察して得られた知見を書きます。

論理的である、という状態を、センスで成し遂げている人がいる。
いわゆる「地頭が良い」人々だ。彼らは誰に教わったわけでもなく、日常的に論理的な思考を使いこなす。論理的な思考を感覚的に行っているのだ。

このような人々は、「論理センスが高い」のだ。「美的センス」とか「営業センス」とか言うのと同じで、論理に対するセンス(感度)が高い人は存在する。

「論理」と言えば、「言語や記号を用いて、2つ以上の事柄の因果関係から、合理的な結論を導くこと」と言ったことを指す。「センス」と言うと、「言語では説明できない、複雑かつ天性の人間の能力」と言うようなイメージを持つだろう。
論理は言語的帰結によるものなのに、センスは非言語的能力なのだ。言語に対して、両極端な立場を取る「論理」と「センス」が、一人の人間の中に共存しているというのも変な話である。

さて、この論理センスが高い人々であるが、意外なことに、「論理的とはどういうことか」について、論理的に説明するのが下手である。天才的な画家が、美術の教育者に向いているとは限らないのと同様である。論理も美術も、「センス」でやってのけてしまう人は、往々にして他者に教えることが下手である。「教える」とは、言語を使って他者に知識やノウハウを伝達することだ。非言語的能力によって何かを成し遂げる人は、それを言語化する必要がないことにより、他者に伝達する手段を持たない。(もちろん例外もいる)

そこで、論理センスの低いトフィーの出番である。論理的とはどういうことか、について、最近やっとわかりかけてきたところだ。よって、その理解を言語的にシェアしたいと思う。

論理を私の言葉で定義すると、「複数の物事の関係性を明らかにして結論を導くツール」である。例えば「AはBである、BはCである、よってAはCである」、これは間違いなく論理的である。複数の物事(A、B、C)の関係性(A=B、B=C)を明らかにして結論(A=C)を導いているからだ。

論理的な結論を導くには、因果関係を用いることが不可欠である。複数の物事の関係性という「因」から、結論という「果」が導かれる、という構造だからだ。論理的であることを志した瞬間、我々は因果関係の呪縛に平伏さなくてはならない。

しかし、この「因果関係」が曲者であり、論理センスの低い我々にとって鬼門なのだ。例えば、この文章を読んで、どう思うだろう。

"この製品は廃材を使用しているから、同じ値段の他社製品よりも品質が良い。"

「この製品は廃材を使用している」ことと「同じ値段の他社製品よりも品質が良い」ことが、どうして因果関係によって結ばれているのか、ほとんどの人はわからないだろう。いわゆる「論理的飛躍」と呼ばれるものだ。

飛躍した論理の内訳を記載すると、このような文章になる。

"この製品は廃材を使用しているから、原料調達コストが安くすむ。原料調達コストが安いから、製造機材にコストをかけることができる。製造機材にコストをかけることができるから、他社製品と同じコストで高品質な製品を製造できる。他社製品と同じコストで高品質な製品を製造できるから、同じ値段の他社製品よりも品質が良い。"

ここまで書けば、ほとんどの人に因果関係を納得してもらえるはずだ。

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しかし、ここで立ち止まって欲しい。どうして我々は、一文目に納得行かず、二文目には納得するのだろう。
これを理解しないと、「論理的飛躍」の予防はできないはずだ。「論理的飛躍のある文章」と「論理的飛躍のない文章」の決定的な違いがわからないということは、例えば「論理的飛躍のある文章」を自分で書いてしまったとしても、それに気づけないからだ。

論理センスの高い人は、論理的飛躍のある文章・ない文章の決定的な違いをわかっている。ただし、それはセンスのレベルで理解してしまうので、我々論理センスの低い人に対して、言語的な説明は行われない。

そこで、論理センスの低いトフィーが、この問題について解説したい。

実は、二文目も、論理的飛躍は起きているのだ。しかし、この文章を読む人々の間で、ブレない共通認識が形成されることにより、それは「論理的飛躍がない」と合意されているだけなのだ。
例えば、「廃材」という単語を理解している人にとっては、「廃棄する予定だった材料」「本来は捨ててしまってもかまわないようなもの、値段をつけて取引するような代物ではないもの」という認識が一瞬で形成される。
この認識を基に、「原料調達コストが安くすむ」という結論を読むことで、「ああ、値段をつけて取引するような代物ではないものを、わざわざ引き取って使っているんだもんな、そりゃ安くて当然だ」という納得感をもたらすのだ。
こうした共通認識の形成が、全ての文と文の間で起きているため、ほとんどの人にとっては「論理的飛躍のない文章」として受け止めてもらえる。

例えば、もしも読み手が5歳児や日本語を知らない人であったりしたら、単語の意味も、そのバックグラウンドも理解していないことにより、二文目であっても、「論理的飛躍のある文章」として受け止められる可能性がある。
反対に、廃材から高品質製品が生まれる過程を知っている人であれば、一文目も「論理的飛躍のない文章」として受け止められるかもしれない。

論理的に間違っていないはずなのに、どうにも話がわかりにくい、という場合は、話し手と聞き手(もしくは書き手と読み手)の間で、前提となる情報の量的格差が大きく、共通認識の形成ができていない可能性がある。
勉強できる人が、できない人に対して、「どうしてこんなことがわからないのか、わからない」となる場面は、まさにこの「理解するための前提となる情報の量的格差」が原因である。互いに同等の情報量を持っていないことが認識されていないから、相手がどこでつまずいているのか…「どこに論理的飛躍を感じているのか」がわからないのだ。

つまり、論理的である、という状態は、「話し手と聞き手(もしくは書き手と読み手)の間で、共通認識が形成されるレベルの因果関係を明らかにした状態」を指すのである。そのためには、互いの情報の量的格差の度合いを認識し、相手に合わせた粒度で因果関係を刻む必要がある。

さて、ここまで、「論理的である」ということについて、できるだけ細かい因果関係の連続で、説明してきた。読者の皆さんに、「論理的とは何か」が伝われば幸いである。

今まで、論理的であるということを、こんなにも論理的に説明した記事があっただろうか! 相手との共通認識を正しく測る能力があれば、誰にとっても分かりやすい話し方ができるんですね。この意識はわたしにも取り入れられそう! それにしても、論理的思考を感覚的にやってのける人たちがいるのは、一見矛盾していてとても面白いですね。

頑張らない優しさ

なつめです。旅先での気づきをマンガにしてみました。

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私は今まで困っている人には座席は譲るべき、譲らない人は冷たい人だと思っていました。でも今回の旅先での経験を通して、もしかしたら「譲らない」のではなくて「譲れない」人がたくさんいるのかもしれないと思ったんです。
周りからは分からないけれど、誰にでも心や体が疲れて人に優しくする余裕がない時ってありますよね。そんな時に自分を犠牲にして無理に親切にするのって本当に苦しいので、その時に余裕がある人が順番に親切にできたらステキだなって思って、今回の記事を書きました。
親切が大げさな事じゃなく、もっと身近で気楽なものになれば、みんな笑顔になれそうですよね!

心身ともにストレスの多い現代社会、もしかしたら「席を譲る余裕のない人」は多数派なのかもしれないなぁ、と、リアルタイムで電車に乗っている干物女は考えます。どの乗客もしんどそうに見えるのは、気のせいかしら…。
みんなが変わりばんこで親切をする…ステキな発想ですね。そしてもっと望むのは、みんなが席を譲るくらい余裕を持てる社会になることですね!

【小説】もしも経営コンサルタントが主夫になったら

「30代で家が建ち、40代で墓が建つ」--こんな揶揄を聞いたことはないだろうか。これはある大手メーカーの年収と勤務実態を表したものである。しかしこういった企業体質は、他にいくらでもある。その一つが某大手コンサルティングファームだ。
 各国に拠点を置くこのファームで、めきめきと頭角を現した男がいる。名前は斉藤誠。旧帝大学を卒業後、米国でMBAを取得しファームへ入社。脱落者も多い競争社会で、20代にしてプロジェクトリーダーに抜擢され、国内の最大手企業群の案件を指揮した。その後は順調に出世街道を歩み、シニアマネージャー職に就く。業界内でも注目されており、大手ビジネス誌のインタビューでは、尊敬する人物として経営戦略の始祖であるブルース・ヘンダーソンを挙げていた。

 こうした彼の華々しい経歴は、38歳で幕を閉じることとなる。

『次の就職先は、ちょうど不正会計の発覚により執行部が辞任していた某サービス産業の後釜経営者か?それともプライベート・エクイティ・ファンドの役員か?』と噂されていたが、どちらも違った。

 いわゆるベッドタウンにある団地。戦後に建てられたこの住宅群は、当時のサラリーマン家庭とベビーブームを支えていた。今では空き部屋も目立つが、最寄の施設にこの団地の名前が使われるなど、市民にとっては存在感の大きい地域だ。ここが彼の再就職先である。

「キャデラックは車を売っているのではないんだ。ステータスを売るんだ。だからライバルは、他の自動車メーカーではなく、ダイヤやミンクのコートのように、同じくステータスの象徴となる製品を売る企業群なんだよ」
「はぁ……」
 誠は事業の機能的定義について説明していた。経営戦略の基本のキである。これを受講していたのは、この団地に住み続けて早5年の、斉藤莉奈。近所の公立中学に通う少女だ。
 莉奈は誠の姪である。誠にとっても、莉奈にとっても、互いが唯一の親戚だ。誠の両親は他界していた。莉奈の両親は離婚していた。そして莉奈の親権者は母親――誠にとっての姉――であったが、不慮の事故により、先月亡くなった。
 この事態を受け、誠はすぐにファームから去った。最後の勤務地はボストンだった。

「この考え方はね、その会社が今後どういう製品やサービスを作っていくか、一貫した方針にもなるし、その考え方に共感する社員の結束力も高められるんだ」
 誠がこれまでに莉奈に会ったのは、指折り数えるほどしかない。最初は生後7か月のとき、それから3歳のとき。小学2年生のときの正月、小学4年生のときの夏休み、小学6年生のとき。
 当然ながら、血縁関係以上の信頼関係など構築していなかった。というより、唯一血縁だからこそ、今こうして同じ部屋で、ドーナツとコーヒー片手に、向かい合っていられるのだ。血のつながりさえなければ、良くてお払い箱、悪くて通報である。
 一方、ドーナツを早々に食べ終えた莉奈は、とっくに誠から顔をそらし、スマートフォンの画面をスクロールすることに勤しんでいた。

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「会社で働く人というのはね、家族でもなければ、友達でもない。だけど自分たちができることややるべきことをしっかり行うことで、素晴らしい偉業を成し遂げるんだ。例えば今、莉奈さんが見ているSNS。そこの運営会社は、最初数人の大学生が始めたベンチャー企業なんだけど、サービスが大きくなった頃、『信頼できる魅力的な人との洗練された交流の場の提供』と、自分たちのサービスを定義したんだ。だからセンスのいい作りになっているし、実名や経歴の開示を推奨して、それまでのSNSの常識を覆した」
 莉奈はスマートフォンをテーブルに伏せた。誠の位置から画面が見えてしまっていたのが気恥ずかしかったというのもあるし、今自分がフォローしているアカウントの誰よりも、興味深い話をしているのが、目の前の叔父だったからだ。少なくとも「学校外の活動がいかに有益で考えさせられるか」などという日記よりは。
 ようやく莉奈の、透き通りがちな茶色の瞳を確認したところで、誠はオールドファッションの最後の一口を、コーヒーとともに飲み流した。そして5センチほど上半身を前に乗り出す。
「莉奈さんがね、僕のことを親代わりと思うなんて、無理だとわかっている。それに、僕だって、姉の役割を完全に果たせるとは思っていない。だけど、僕は君が大人になるまでしっかり見守りたいし、君としても自分1人で生きていくまでの後見人が必要だ。そうした利害の一致の元に、君と協力して生活を整えたいと思っているんだよ。そのためには、どうして僕たち2人が、同じ団地の一室で共同生活を送るのか、共同体としての機能的定義--もっと簡単に言うと、僕達の共通の目的が必要だ」
「別に……おじさんは私の養育費を出す。私は大人になるまで迷惑をかけずに暮らす。それだけじゃダメなんですか」
「ダメだ。それは結果的に君のためにならないだろう」
「どうして?」
「従順に生かされるだけで、人間は大人になれるわけではないからね」
 誠の含みを持たせた言い方に、莉奈は少したじろぎつつも、眉間に訝しみを隠さず突っかかる。
「つまり、反抗しろってこと?」
「そう。反抗も含めて、自分の考えで生きるんだ」
「じゃぁ、私にお金だけ預けてくれれば、そのお金の使い道考えて生きていくけど?」
「投資だけしろっていうなら、事業計画出してもらわないと。僕が投資したくなる、君の人生の事業計画をね」
「そんなの無理。受験校も決まっていないのに。結局、私はおじさんに飼われるんじゃん」
 莉奈が席を立とうと腰を浮かし掛けた、が、それを許さぬかのように、誠は即答した。
「違うよ。君がちゃんと自分の考えを主張する限り、僕達は対等さ」
 対等という響きは、莉奈の耳に新鮮な響きを持って伝わった。母親と2歳しか変わらない誠と、対等な関係。急に、中学生らしくあることから解放させられてしまったように感じていた。
「考えって……何を考えろっていうの」
「『君はこの共同生活で、どう暮らしていきたい?』」
「どう……?」
 莉奈の目に少しの濁りが生じたようだ。年の割に賢い返答をする少女が、ここに来て急に挙動を止め、空を見上げていた。
「わかった質問を変えよう。『どういう暮らしはうんざり?』」
「……とりあえず、干渉されるのは嫌。気遣うのも嫌。あと料理は完全にお母さんに任せてたから、やり方わからない」
「それを反対にすると、莉奈さんの意思が尊重されて、何でも言い合えて、料理の技術を僕がサポートする。そういう暮らし?」
「できれば家事したくない」
「家事しない代わりに、僕がうなずける提案はある?」
「……ない」
「じゃぁ、分担だ。大丈夫、いきなり一人で晩御飯作れ、なんてことはさせないよ」
 ここまでのやり取りで、莉奈は誠とのコミュニケーションの取り方を理解した。この人は、ワガママを言っても声を荒げて抑えつけるようなことはしないが、理屈を通さなければ却下される……ということを。それは莉奈にとって鮮烈な経験として刻まれた。
「莉奈さん。意志が尊重されて、何でも言い合えて、家事は分担――そういう暮らしをするのに、僕達に必要な精神は何かな」
「必要な精神?主義、みたいなの?」
「そうだね、主義の前につきそうな単語で考えると考えやすいかもしれない」
「うーん……民主?自由?立憲?……自立……あ。ジリツ。自分を律する、で、自律。自分を律していれば、相手の意思を踏みにじるようなことはしないし、相手と対等に言い合えるし、まぁ料理だってしなきゃいけないんだからするようになるよねきっと」
「いいね。お互いに、自律するために、僕達は共同生活を送るんだ。この共同生活を通して、自律的な精神を実践しながら養っていこう」
「うん、そういうの嫌いじゃない。おじさん、面倒くさい人かと思ってたけど、面白いね」
 莉奈は少女らしかぬ、企み事をするように、右の口端を持ち上げた。
「莉奈さんが自分の頭で考えたから、面白くなるんだよ、何事もね」
 一方の誠は、特に動じたところもなかったが、目元を緩ませていた。
「あ、そうそう」と、誠が思い出したように付け加える。
「ごめんね莉奈さん、僕も料理はあまりできないんだ。何なら家事も今まであまりやってこなかった」
「は!?さっきサポートするって……!」
「だから、今日の夕飯は外食でもしよう。共同体成立の記念日だ。ここらへんで一番おいしい店にいこう」
 それなら、と莉奈が進めたのは、299円のドリアが売りの、ファミリーレストランだった。果たして彼女にとっての「一番」がここでよいものか、それとも中学生なら妥当なのか――誠は莉奈の食経験を豊かにするためのKPIを考え始めるのであった。
〈多分続かない〉

トフィーです。2年ほど前に書いていた小説が、読み返したら割と面白かったので、勢い余って掲載。明日になって恥ずかしくなっても知らない。
コンサルタントになるべく中小企業診断士資格の勉強していた頃に、「経営戦略や生産管理の考え方って家庭生活にも応用できるのでは?」と思ったのがキッカケで書きました。ダブルビン法とか、家の洗剤の在庫管理する上でめちゃくちゃ使ってます。

新年干物はじめ

トフィーとなつめです。新年のご挨拶を申し上げます。

 

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今年もよろしくお願いします♪

誰が作った「主人公」?

 

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ドラマだけでなくドキュメンタリーでも、そこには「主人公」が居て、作り手の見せたい「ストーリー」があります。
作り手は誰を主人公にしたらより視聴者の共感を得られるか、どんなストーリーが心をうつかを考えながら番組を作っていくでしょう。
そして私たちは多くの場合、主人公に感情移入し、主人公の目線でその物語を読み進めていきます。

例えば、ドキュメンタリーの主人公が、熊の親子だった場合。長い事食事にありつけない親熊が小熊のために必死で餌を探す姿を応援し、遂にそれを得ることができた時には「やった!」と喜ぶことでしょう。
でももしその主人公が熊の親子じゃなかったら?激流を遡り、必死の思いで故郷の川へたどり着いた直後の鮭が主人公だったとしたら?
きっとそれを見て、可哀そうと涙することでしょう。親熊を「なんて酷いやつなんだ!」と怒りの目で見るかもしれません。
さっきは応援していた存在が、主人公やストーリーの見せ方を変えるだけであっさり敵に変わってしまうのです。

ドラマの中でも、あんなに意地悪で嫌なやつに見えた主人公の恋敵が、主人公を置き換える目線を持つと、ただの一生懸命恋愛している普通の女の子だという事もよくあります。

この事に気付いてから私は、ドラマやドキュメンタリーだけでなく、事実として報道されるニュースの一つ一つにも主人公が居て、そこに作り手の意図する「ストーリー」が存在しているのではないかと注意して見るようになりました。

ここ何ヶ月か連日報道されている角界の傷害事件。最初は局や番組によっていろんな主人公や見せ方がありました。
被害者側の親方を主人公にし、親方の支援者や近しい人からのインタビューを散りばめた報道では、「相撲界の理不尽で古い体制に1人で立ち向かおうとしている親方」というストーリーが描かれていました。暴行した力士を悲劇の英雄として主人公にしている番組もありました。
そうこうしているうちに、だんだんと世間の多くの人の共感を得るような一つのストーリーに固まり、最近はそのストーリーに沿った取材や報道がなされているように感じます。

私は相撲のことは詳しくありませんし、その報道に対して意見したいわけでもありません。なので、この件について詳しく掘り下げる事はしません。
ただ、多くの人が純粋な事実を知ろうとするよりも、自分の好む一つのストーリーに沿って事実をはめ込んでいるように見えて、一方を悪者扱いする意見を嬉嬉として語る姿に、何とも言えない居心地の悪さを感じてしまうのです。

これはテレビの中の世界に限ったことではありません。普段の生活の中でもこのような場面はたくさん存在します。
一方の言い分だけを聞いて、その人を主人公にしたストーリーに踊らされている事はないでしょうか?批判されている相手側がもし主人公だとしたらそれはどんなストーリーになるでしょうか?
感情移入する前に、一歩引いて少し離れたところから見ると、全く別の物語が見えてくるかもしれません。

「主人公」に対する没入感が強くなりすぎると、「あの人(=私)が絶対正しい!」となってしまうんですよね。世の中全ての存在が「主人公」であって、一人ひとり異なったストーリー(=主観)を持っていることを意識して、一歩離れたスタンスでありたいものです。
この「主人公」に対するなつめさんの指摘、更に発展させて、「戦争と正義」とか、そんなテーマでも話せそうですよね。

虐待家庭のような部長と課長の関係

こんにちは、トフィーです。今日は虐待家庭のような職場の様子をお伝えいたします。

虐待家庭の1つのあり方に、「親が子どもである兄弟・姉妹によって扱い方を変える」というものがあります。
例えば「兄には溺愛するが(愛玩子)、その妹に対しては虐待をする」→「子どもたちが経済的に自立したあと、虐待していた方の子どもから、何かと理由をつけて金銭的搾取を行う(搾取子)」というようなものです。

「母に支配される娘」のどうにもならない葛藤 | 家庭 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準


それに近しいことが、前職の会社でも起きていました。
それは、部長と二人の課長の間で起きていたことで、「まるで虐待家庭を見ているようだ」と思わされたものでした。

部長はこんな人

部長は、創業時からの叩き上げで、会社の中でも有力な地位に登り詰めた人でした。それだけに優秀な人だったとも思います。
また、管理職として「責任を取る」というところを重視していたこともあり、部下が勝手な行動をすることを許さず、まずは自分に情報が来るように徹底していました。

課長AとBはこんな人々

課長Aもまた、20年近くこの会社に勤めていた人で、バリバリと仕事をする人でした。ただ、中間管理職としての「バリバリ」ではなく、実務担当者として「バリバリ」なのですが…。
結局、自分一人で実務仕事を抱えて、自分だけが大きな負担を背負い、周囲に「自分ばっかり大変だ」と呟いている人でした。
尚、私はこの人の部下でした。

課長Bは、まだ20代の女性でした。ちょうど会社が「若手にチャンスを」という方針に切り替えたときに、課長ポストに抜擢されたのでした。
そのポストは、私の働く課の隣の課だったので、業務的にも近しかったのですが、課長Bがどんな人なのかまで実感できるほどには、あまり時間を共有していません。

部長と課長2人の関係

冒頭に書いた「愛玩子と搾取子」で例えると、部長が親で、愛玩子が課長B、搾取子が課長Aでした。

部長は何かと課長Bと会議を開きたがりました。
一方、その皺寄せを食うのは課長Aでした。あまりにも多くの業務を抱えているAは、各業務で緊急のことが起きると、部長に報告しなければなりません。しかし、部長が課長Bと会議中だと、部長は後回しにしたがります。
結局、その後回しのせいで、大なり小なりトラブルが起こります。
「トラブルになるくらいなら、課長Aにもっと権限委譲して、現場判断させれば良いのに…」と思ったものでした。

また、課長Aが業務を多く抱えているのは、課長Aにも問題があるとは言え、部長が根本の原因でもありました。明らかにこの課ではない仕事も、課長Aに振りたがるのです。
「それは課長Bのところの仕事だろう!」と言いたくなる仕事も、ちょくちょくありました。
なまじ課長Aがちゃんと仕事するものだから、他の人よりも仕事の上では信頼していたのでしょう。
課長Aの負担がどんどん増える…それが「搾取されている」ように、私の目には写ったのです。

しかし、この状況でも、部長が課長Aを少し褒めると、課長Aが喜びを隠せないでいる様が、最も気色悪く感じられました。

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部長にとっての愛玩子・課長Bと、搾取子・課長A。今思い出しても、不健全な関係だったと思います。

会社内における依怙贔屓

経営というのは、合理的な側面と、人情的な側面があります。組織を作る上で、合理的なルールがなければ、社員は会社に不満を持ち、退職に繋がります。
しかし、やはり人同士で運営するものなので、「お気に入り」みたいなものはできてしまうのです。そしてそれは、役職が上になり、権限が大きくなればなるほど、「お気に入り」と「非お気に入り」の格差が目に見えて表れるのです。
そこから社内政治やら派閥やらが産まれてくるのですね。

馬鹿馬鹿しいなぁと思いつつ、私も、もしも起業する…なんてことになったら「一緒に働いていて楽しい人とやりたい」と思うので、そう考えると仕方ないことなのかもしれません。

ただ、社内政治上手=昇格・昇進の必須要件、みたいになっている会社には間違いなく未来はありません。事実、ここで描写した会社は、事業縮小しましたからね!

ところで、あなたの会社は大丈夫ですか?

相性が合う合わないは、ある程度しょうがない部分もあるけど、ここまで露骨にそれを反映させると、円滑な業務が妨げられ、会社全体に不利益が及ぶでしょうね。
労働力の搾取って社会の中で当たり前のように行われているけど、家庭内の問題に置き換えるとこんなに不自然な事なんだなぁ。
私も当事者にならないよう敏感でいないと!と思わされました。