【小説】もしも経営コンサルタントが主夫になったら

「30代で家が建ち、40代で墓が建つ」--こんな揶揄を聞いたことはないだろうか。これはある大手メーカーの年収と勤務実態を表したものである。しかしこういった企業体質は、他にいくらでもある。その一つが某大手コンサルティングファームだ。
 各国に拠点を置くこのファームで、めきめきと頭角を現した男がいる。名前は斉藤誠。旧帝大学を卒業後、米国でMBAを取得しファームへ入社。脱落者も多い競争社会で、20代にしてプロジェクトリーダーに抜擢され、国内の最大手企業群の案件を指揮した。その後は順調に出世街道を歩み、シニアマネージャー職に就く。業界内でも注目されており、大手ビジネス誌のインタビューでは、尊敬する人物として経営戦略の始祖であるブルース・ヘンダーソンを挙げていた。

 こうした彼の華々しい経歴は、38歳で幕を閉じることとなる。

『次の就職先は、ちょうど不正会計の発覚により執行部が辞任していた某サービス産業の後釜経営者か?それともプライベート・エクイティ・ファンドの役員か?』と噂されていたが、どちらも違った。

 いわゆるベッドタウンにある団地。戦後に建てられたこの住宅群は、当時のサラリーマン家庭とベビーブームを支えていた。今では空き部屋も目立つが、最寄の施設にこの団地の名前が使われるなど、市民にとっては存在感の大きい地域だ。ここが彼の再就職先である。

「キャデラックは車を売っているのではないんだ。ステータスを売るんだ。だからライバルは、他の自動車メーカーではなく、ダイヤやミンクのコートのように、同じくステータスの象徴となる製品を売る企業群なんだよ」
「はぁ……」
 誠は事業の機能的定義について説明していた。経営戦略の基本のキである。これを受講していたのは、この団地に住み続けて早5年の、斉藤莉奈。近所の公立中学に通う少女だ。
 莉奈は誠の姪である。誠にとっても、莉奈にとっても、互いが唯一の親戚だ。誠の両親は他界していた。莉奈の両親は離婚していた。そして莉奈の親権者は母親――誠にとっての姉――であったが、不慮の事故により、先月亡くなった。
 この事態を受け、誠はすぐにファームから去った。最後の勤務地はボストンだった。

「この考え方はね、その会社が今後どういう製品やサービスを作っていくか、一貫した方針にもなるし、その考え方に共感する社員の結束力も高められるんだ」
 誠がこれまでに莉奈に会ったのは、指折り数えるほどしかない。最初は生後7か月のとき、それから3歳のとき。小学2年生のときの正月、小学4年生のときの夏休み、小学6年生のとき。
 当然ながら、血縁関係以上の信頼関係など構築していなかった。というより、唯一血縁だからこそ、今こうして同じ部屋で、ドーナツとコーヒー片手に、向かい合っていられるのだ。血のつながりさえなければ、良くてお払い箱、悪くて通報である。
 一方、ドーナツを早々に食べ終えた莉奈は、とっくに誠から顔をそらし、スマートフォンの画面をスクロールすることに勤しんでいた。

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「会社で働く人というのはね、家族でもなければ、友達でもない。だけど自分たちができることややるべきことをしっかり行うことで、素晴らしい偉業を成し遂げるんだ。例えば今、莉奈さんが見ているSNS。そこの運営会社は、最初数人の大学生が始めたベンチャー企業なんだけど、サービスが大きくなった頃、『信頼できる魅力的な人との洗練された交流の場の提供』と、自分たちのサービスを定義したんだ。だからセンスのいい作りになっているし、実名や経歴の開示を推奨して、それまでのSNSの常識を覆した」
 莉奈はスマートフォンをテーブルに伏せた。誠の位置から画面が見えてしまっていたのが気恥ずかしかったというのもあるし、今自分がフォローしているアカウントの誰よりも、興味深い話をしているのが、目の前の叔父だったからだ。少なくとも「学校外の活動がいかに有益で考えさせられるか」などという日記よりは。
 ようやく莉奈の、透き通りがちな茶色の瞳を確認したところで、誠はオールドファッションの最後の一口を、コーヒーとともに飲み流した。そして5センチほど上半身を前に乗り出す。
「莉奈さんがね、僕のことを親代わりと思うなんて、無理だとわかっている。それに、僕だって、姉の役割を完全に果たせるとは思っていない。だけど、僕は君が大人になるまでしっかり見守りたいし、君としても自分1人で生きていくまでの後見人が必要だ。そうした利害の一致の元に、君と協力して生活を整えたいと思っているんだよ。そのためには、どうして僕たち2人が、同じ団地の一室で共同生活を送るのか、共同体としての機能的定義--もっと簡単に言うと、僕達の共通の目的が必要だ」
「別に……おじさんは私の養育費を出す。私は大人になるまで迷惑をかけずに暮らす。それだけじゃダメなんですか」
「ダメだ。それは結果的に君のためにならないだろう」
「どうして?」
「従順に生かされるだけで、人間は大人になれるわけではないからね」
 誠の含みを持たせた言い方に、莉奈は少したじろぎつつも、眉間に訝しみを隠さず突っかかる。
「つまり、反抗しろってこと?」
「そう。反抗も含めて、自分の考えで生きるんだ」
「じゃぁ、私にお金だけ預けてくれれば、そのお金の使い道考えて生きていくけど?」
「投資だけしろっていうなら、事業計画出してもらわないと。僕が投資したくなる、君の人生の事業計画をね」
「そんなの無理。受験校も決まっていないのに。結局、私はおじさんに飼われるんじゃん」
 莉奈が席を立とうと腰を浮かし掛けた、が、それを許さぬかのように、誠は即答した。
「違うよ。君がちゃんと自分の考えを主張する限り、僕達は対等さ」
 対等という響きは、莉奈の耳に新鮮な響きを持って伝わった。母親と2歳しか変わらない誠と、対等な関係。急に、中学生らしくあることから解放させられてしまったように感じていた。
「考えって……何を考えろっていうの」
「『君はこの共同生活で、どう暮らしていきたい?』」
「どう……?」
 莉奈の目に少しの濁りが生じたようだ。年の割に賢い返答をする少女が、ここに来て急に挙動を止め、空を見上げていた。
「わかった質問を変えよう。『どういう暮らしはうんざり?』」
「……とりあえず、干渉されるのは嫌。気遣うのも嫌。あと料理は完全にお母さんに任せてたから、やり方わからない」
「それを反対にすると、莉奈さんの意思が尊重されて、何でも言い合えて、料理の技術を僕がサポートする。そういう暮らし?」
「できれば家事したくない」
「家事しない代わりに、僕がうなずける提案はある?」
「……ない」
「じゃぁ、分担だ。大丈夫、いきなり一人で晩御飯作れ、なんてことはさせないよ」
 ここまでのやり取りで、莉奈は誠とのコミュニケーションの取り方を理解した。この人は、ワガママを言っても声を荒げて抑えつけるようなことはしないが、理屈を通さなければ却下される……ということを。それは莉奈にとって鮮烈な経験として刻まれた。
「莉奈さん。意志が尊重されて、何でも言い合えて、家事は分担――そういう暮らしをするのに、僕達に必要な精神は何かな」
「必要な精神?主義、みたいなの?」
「そうだね、主義の前につきそうな単語で考えると考えやすいかもしれない」
「うーん……民主?自由?立憲?……自立……あ。ジリツ。自分を律する、で、自律。自分を律していれば、相手の意思を踏みにじるようなことはしないし、相手と対等に言い合えるし、まぁ料理だってしなきゃいけないんだからするようになるよねきっと」
「いいね。お互いに、自律するために、僕達は共同生活を送るんだ。この共同生活を通して、自律的な精神を実践しながら養っていこう」
「うん、そういうの嫌いじゃない。おじさん、面倒くさい人かと思ってたけど、面白いね」
 莉奈は少女らしかぬ、企み事をするように、右の口端を持ち上げた。
「莉奈さんが自分の頭で考えたから、面白くなるんだよ、何事もね」
 一方の誠は、特に動じたところもなかったが、目元を緩ませていた。
「あ、そうそう」と、誠が思い出したように付け加える。
「ごめんね莉奈さん、僕も料理はあまりできないんだ。何なら家事も今まであまりやってこなかった」
「は!?さっきサポートするって……!」
「だから、今日の夕飯は外食でもしよう。共同体成立の記念日だ。ここらへんで一番おいしい店にいこう」
 それなら、と莉奈が進めたのは、299円のドリアが売りの、ファミリーレストランだった。果たして彼女にとっての「一番」がここでよいものか、それとも中学生なら妥当なのか――誠は莉奈の食経験を豊かにするためのKPIを考え始めるのであった。
〈多分続かない〉

トフィーです。2年ほど前に書いていた小説が、読み返したら割と面白かったので、勢い余って掲載。明日になって恥ずかしくなっても知らない。
コンサルタントになるべく中小企業診断士資格の勉強していた頃に、「経営戦略や生産管理の考え方って家庭生活にも応用できるのでは?」と思ったのがキッカケで書きました。ダブルビン法とか、家の洗剤の在庫管理する上でめちゃくちゃ使ってます。

新年干物はじめ

トフィーとなつめです。新年のご挨拶を申し上げます。

 

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今年もよろしくお願いします♪

誰が作った「主人公」?

 

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ドラマだけでなくドキュメンタリーでも、そこには「主人公」が居て、作り手の見せたい「ストーリー」があります。
作り手は誰を主人公にしたらより視聴者の共感を得られるか、どんなストーリーが心をうつかを考えながら番組を作っていくでしょう。
そして私たちは多くの場合、主人公に感情移入し、主人公の目線でその物語を読み進めていきます。

例えば、ドキュメンタリーの主人公が、熊の親子だった場合。長い事食事にありつけない親熊が小熊のために必死で餌を探す姿を応援し、遂にそれを得ることができた時には「やった!」と喜ぶことでしょう。
でももしその主人公が熊の親子じゃなかったら?激流を遡り、必死の思いで故郷の川へたどり着いた直後の鮭が主人公だったとしたら?
きっとそれを見て、可哀そうと涙することでしょう。親熊を「なんて酷いやつなんだ!」と怒りの目で見るかもしれません。
さっきは応援していた存在が、主人公やストーリーの見せ方を変えるだけであっさり敵に変わってしまうのです。

ドラマの中でも、あんなに意地悪で嫌なやつに見えた主人公の恋敵が、主人公を置き換える目線を持つと、ただの一生懸命恋愛している普通の女の子だという事もよくあります。

この事に気付いてから私は、ドラマやドキュメンタリーだけでなく、事実として報道されるニュースの一つ一つにも主人公が居て、そこに作り手の意図する「ストーリー」が存在しているのではないかと注意して見るようになりました。

ここ何ヶ月か連日報道されている角界の傷害事件。最初は局や番組によっていろんな主人公や見せ方がありました。
被害者側の親方を主人公にし、親方の支援者や近しい人からのインタビューを散りばめた報道では、「相撲界の理不尽で古い体制に1人で立ち向かおうとしている親方」というストーリーが描かれていました。暴行した力士を悲劇の英雄として主人公にしている番組もありました。
そうこうしているうちに、だんだんと世間の多くの人の共感を得るような一つのストーリーに固まり、最近はそのストーリーに沿った取材や報道がなされているように感じます。

私は相撲のことは詳しくありませんし、その報道に対して意見したいわけでもありません。なので、この件について詳しく掘り下げる事はしません。
ただ、多くの人が純粋な事実を知ろうとするよりも、自分の好む一つのストーリーに沿って事実をはめ込んでいるように見えて、一方を悪者扱いする意見を嬉嬉として語る姿に、何とも言えない居心地の悪さを感じてしまうのです。

これはテレビの中の世界に限ったことではありません。普段の生活の中でもこのような場面はたくさん存在します。
一方の言い分だけを聞いて、その人を主人公にしたストーリーに踊らされている事はないでしょうか?批判されている相手側がもし主人公だとしたらそれはどんなストーリーになるでしょうか?
感情移入する前に、一歩引いて少し離れたところから見ると、全く別の物語が見えてくるかもしれません。

「主人公」に対する没入感が強くなりすぎると、「あの人(=私)が絶対正しい!」となってしまうんですよね。世の中全ての存在が「主人公」であって、一人ひとり異なったストーリー(=主観)を持っていることを意識して、一歩離れたスタンスでありたいものです。
この「主人公」に対するなつめさんの指摘、更に発展させて、「戦争と正義」とか、そんなテーマでも話せそうですよね。

虐待家庭のような部長と課長の関係

こんにちは、トフィーです。今日は虐待家庭のような職場の様子をお伝えいたします。

虐待家庭の1つのあり方に、「親が子どもである兄弟・姉妹によって扱い方を変える」というものがあります。
例えば「兄には溺愛するが(愛玩子)、その妹に対しては虐待をする」→「子どもたちが経済的に自立したあと、虐待していた方の子どもから、何かと理由をつけて金銭的搾取を行う(搾取子)」というようなものです。

「母に支配される娘」のどうにもならない葛藤 | 家庭 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準


それに近しいことが、前職の会社でも起きていました。
それは、部長と二人の課長の間で起きていたことで、「まるで虐待家庭を見ているようだ」と思わされたものでした。

部長はこんな人

部長は、創業時からの叩き上げで、会社の中でも有力な地位に登り詰めた人でした。それだけに優秀な人だったとも思います。
また、管理職として「責任を取る」というところを重視していたこともあり、部下が勝手な行動をすることを許さず、まずは自分に情報が来るように徹底していました。

課長AとBはこんな人々

課長Aもまた、20年近くこの会社に勤めていた人で、バリバリと仕事をする人でした。ただ、中間管理職としての「バリバリ」ではなく、実務担当者として「バリバリ」なのですが…。
結局、自分一人で実務仕事を抱えて、自分だけが大きな負担を背負い、周囲に「自分ばっかり大変だ」と呟いている人でした。
尚、私はこの人の部下でした。

課長Bは、まだ20代の女性でした。ちょうど会社が「若手にチャンスを」という方針に切り替えたときに、課長ポストに抜擢されたのでした。
そのポストは、私の働く課の隣の課だったので、業務的にも近しかったのですが、課長Bがどんな人なのかまで実感できるほどには、あまり時間を共有していません。

部長と課長2人の関係

冒頭に書いた「愛玩子と搾取子」で例えると、部長が親で、愛玩子が課長B、搾取子が課長Aでした。

部長は何かと課長Bと会議を開きたがりました。
一方、その皺寄せを食うのは課長Aでした。あまりにも多くの業務を抱えているAは、各業務で緊急のことが起きると、部長に報告しなければなりません。しかし、部長が課長Bと会議中だと、部長は後回しにしたがります。
結局、その後回しのせいで、大なり小なりトラブルが起こります。
「トラブルになるくらいなら、課長Aにもっと権限委譲して、現場判断させれば良いのに…」と思ったものでした。

また、課長Aが業務を多く抱えているのは、課長Aにも問題があるとは言え、部長が根本の原因でもありました。明らかにこの課ではない仕事も、課長Aに振りたがるのです。
「それは課長Bのところの仕事だろう!」と言いたくなる仕事も、ちょくちょくありました。
なまじ課長Aがちゃんと仕事するものだから、他の人よりも仕事の上では信頼していたのでしょう。
課長Aの負担がどんどん増える…それが「搾取されている」ように、私の目には写ったのです。

しかし、この状況でも、部長が課長Aを少し褒めると、課長Aが喜びを隠せないでいる様が、最も気色悪く感じられました。

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部長にとっての愛玩子・課長Bと、搾取子・課長A。今思い出しても、不健全な関係だったと思います。

会社内における依怙贔屓

経営というのは、合理的な側面と、人情的な側面があります。組織を作る上で、合理的なルールがなければ、社員は会社に不満を持ち、退職に繋がります。
しかし、やはり人同士で運営するものなので、「お気に入り」みたいなものはできてしまうのです。そしてそれは、役職が上になり、権限が大きくなればなるほど、「お気に入り」と「非お気に入り」の格差が目に見えて表れるのです。
そこから社内政治やら派閥やらが産まれてくるのですね。

馬鹿馬鹿しいなぁと思いつつ、私も、もしも起業する…なんてことになったら「一緒に働いていて楽しい人とやりたい」と思うので、そう考えると仕方ないことなのかもしれません。

ただ、社内政治上手=昇格・昇進の必須要件、みたいになっている会社には間違いなく未来はありません。事実、ここで描写した会社は、事業縮小しましたからね!

ところで、あなたの会社は大丈夫ですか?

相性が合う合わないは、ある程度しょうがない部分もあるけど、ここまで露骨にそれを反映させると、円滑な業務が妨げられ、会社全体に不利益が及ぶでしょうね。
労働力の搾取って社会の中で当たり前のように行われているけど、家庭内の問題に置き換えるとこんなに不自然な事なんだなぁ。
私も当事者にならないよう敏感でいないと!と思わされました。

オカッパあるある

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なつめです♪髪を切りたての時はセット頑張るけど、数日で手抜きになるという(笑)
ロングだと誤魔化しやすいんですけど、ボブはちゃんとセットしないと、座敷童子かちびま〇子ちゃん街道まっしぐらなんですよね……。

ドラマ「コウノドリ」で気付いた「イクメン」への違和感の正体

なつめです。未婚干物女ですが、今回は子育てについて偉そうに書いてみました!

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2010年に厚生労働省が始めたプロジェクトをきっかけに「イクメン」という言葉が使われ始め、現在その言葉は当たり前に知られるようになってきました。
わたしも、男性の子育て参加を歓迎する大勢のうちの一人です。それなのになぜか「イクメン」という言葉を聞く度に何かザワザワする気持ちが湧き上がってくるのです。ただそのザワザワの正体は分からずにいました。

 

それが先日「コウノドリ」という周産期医療センターを舞台にしたドラマを見ていた時のことです。
出産直後の妻が、心疾患の見つかった我が子の子育てに対する不安を口にした時に、ナオトインティライミ演じる夫が言った言葉。

「大丈夫だよ。俺も手伝うから」

──ざわざわざわざわ。
イクメン」という言葉を聞いた時と同じ違和感を覚えました。

そして次の瞬間、星野源演じる産科医が言い放った言葉を聞いて私は叫びました。(心の中で)

「何言ってるんだ。手伝うじゃないだろ。あんたの子どもだよ」
これだーーー!!

 

ナオトインティライミ(仮名)の発言は一見「協力的ないい夫」を思わせる言葉でした。そして、ナオトインティライミ(仮)自身もきっと自分は「協力的ないい夫」だと信じて疑っていなかったと思います。
でも「手伝う」という言葉は裏を返せば「当事者ではない」=「当事者はあくまで母親」という事になるんですよね。
イクメン」という言葉に私が感じていた違和感もそこにあったのだと思います。

夫が子どもをお風呂に入れたり、ご飯を食べさせたり育児に協力してくれたら、それは妻も助かるでしょう。
でもその何倍も、何十倍もの事を妻は普段からやっているんですよね。それでも妻は「イクウーメン」なんて呼ばれません。それは語呂が悪いからだけでなく、「当たり前」の事だからです。
「今日も赤ちゃんのオムツ換えてあげたの?偉いわね」なんて言われません。それは「当たり前」の事だから。育児の当事者はいつだって母親なのです。

わたしの周りの「イクメン」を自称する夫達も「自分は手伝う立場」である事を疑いもせず、ほんの少しのサポートで「俺子育て頑張ってます」ってドヤ顔してくる人がものすごく多いです。そこに私はザワザワしていたんだと思います。

 

それはコトバンクの「イクメン」の定義にも表れています。

イクメン」とは「子育てする男性(メンズ)」の略語。単純に育児中の男性というよりはむしろ「育児休暇を申請する」「育児を趣味と言ってはばからない」など、積極的に子育てを楽しみ、自らも成長する男性を指す。実際には、育児に積極的に参加できていなくても、将来的にそうありたいと願う男性も含まれる。

え?!実際には参加出来ていなくても?!
そうありたいと願うだけで?!?!
君も今日から「イクメン」だ☆?!?!?!

そんなバカな話があるかーーー?!
じゃあなにか?わたしが将来的に石原さとみになりたいと願ったら、実際にはそうでなくても「わたし、石原さとみです」って言っていいってこと?!?!(混乱)
そんな顔面詐称がまかり通っていいのか?!?!?!(脱線)

……あまりの驚きに取り乱しましたが、イクメン界(?)ではそんな横暴が普通に認められてるというわけです。

 

出産・育児ははっきり言って平等ではありません。子供を産めるのは女性だけです。そして、共働きの家庭においても、子供を育てるのは当然女性という考え方は根強いです。
個々の男性だけを責める事は出来ません。男性も育児に参加しようという働きかけが始まってから、たかだか10年未満。制度上は男性も育児休暇を取れる会社でも、周囲の理解はまだまだ追い付いておらず、取得のハードルは女性よりもずっとずっと高いのが現状です。

 

だから、「夫も妻と同じ時間育児に参加しろよ!」なんて言うつもりでこの記事を書いたわけではありません。(そもそも言える立場にはありませんが)
ただせめて、「イクメン」よりももっとずっとたくさんの時間や労力を使い、育児と向き合っている母親の頑張りを「当たり前」で済ませないでほしい。夫だけでなく、周囲の人々がそんな母親達を温かい目で見守り、時には褒める事の出来る社会であればと願います。
その意識があれば、電車の中で少々子供が泣いてもイライラしないだろうし、席だって気負わずに譲れると思うし、そしてそういう優しい気持ちに囲まれていたら育児に携わるストレスも少しは減るのではないでしょうか?

 

育児の当事者どころか、手伝う側でもない干物女が偉そうにと思われるかもしれませんが、干物女だからこそ、子供を産み育ててる人はそれだけで尊敬に値する存在だと常日頃から思っています。

イクメン」について、ここまで考えたことがなかった!!!
役割分担の比率は各家庭で合意すればいいと思います。ただ、だからって、お互いの役割に無関心なのは、せっかくの家族なのに物悲しいですよね。
子どもが絡んだら尚のこと。私は親の立場になったことも、なる予定もないので、その立場からは語れません。ただ、子どもだった時代を思い返すと、両親が常に私を大切にしてくれていました。子どもって親からの愛情に敏感なのですよね。
愛情という名の「子育ての当事者意識」があれば、きっと子どもに伝わると思います。

大人になっても学びたい!社会人向け研修に参加する人々

トフィーです。意識高い系なもので、社会人向け研修が大好きです。今までにも色んな研修に参加してきました。そういった場所で出会う人々にも特徴があるので、デフォルメしてお伝えしたいと思います。

社会人向け研修とは、何らかのスキルを持つプロの講師の講義に、社会人が参加して学ぶというものです。様々な研修テーマ、研修期間があります。また、参加する人々も、「社会人」ということ以外は、年齢やキャリア、職種などもマチマチですが、多くは会社員、事業者、主婦、といったところです。私が過去に参加した研修に、「タイムマネジメント」「ロジカルシンキング」「プレゼンテーション研修」などがあります。

社会人向け研修で、よく使われる「研修の流れ」があります。
それは座学+グループワーク。講師から知識を学び、その後にグループワークで練習するというもの。このグループワークの時に、参加者の個性がよく出て面白いのです。

自費で参加している人にありがちなこと

特に女性に多いのですが(というか男性で自費参加している人に会ったことがないのですが)、「子育ても一区切りしたし、今度は別の仕事(もしくは社会復帰)に挑戦したい」という方が多いです。こういう方は、自発的に研修を見つけ、自費で参加していることが多く、とてもパワフルです。発言量も多く、グループワークの課題にも真面目に取り組もうとします。

やや難点があるとすると、「グループワークに不慣れ」というところ。(とは言え、不慣れなことを練習するのが社会人向け研修なので、それは全然構わないし、こういう機会で慣れていけばいい、という前提での指摘です。)

「自らリーダーにはなろうとしない」「どうやってグループとしての結論を合意したらいいかわからない」…という姿をお見かけします。

恐らく、複数人でのディスカッションを通して結論を出し、アウトプットを作るという一連の流れについて経験不足だったり、自信がなかったりするのだと思います。

私個人としては、それでも「ハイッ!」と、率先してリーダーをやる気概が大事だと思っています。何事も経験ですし、失敗してこそ人は「次はどうやったら上手くいくだろう」と考え始めるものですし。

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パワフルな人が多いので、あとはもう一枚自分の殻を破ったら、どんどん成長していきそうだなぁ、と思わされるタイプの人達です。

OffJTで参加している人にありがちなこと

多くの男性と、たまに女性でもお見かけするようになったのが、このタイプ。勤務先が研修会社と提携していて、会社の費用で参加する、というパターン。

このタイプの特徴は、プライドが高い(笑)

社会人経験がある分、グループワークでも発言するし、リーダーシップも発揮する。時には「自分が正しい」と譲らない姿も見受けられます。それが正しい場合もあるのですが、間違っている場合だと悲惨です。グループの結論があらぬ方向へ行ってしまい、発表段階で、あまりの間違え方に他のグループや講師も苦笑い…なんてことも。
こういう人は、グループワークのメンバーのみならず、講師の事前の講義内容さえもちゃんと聞いていないのだろうな…と思わされます。

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逆に、全く発言をしない人もいます。初対面の人と話すのが苦手な場合と、「何でこんなのに参加しなきゃいけないんだ」オーラ全開の場合があります。前者の場合は話しかければ案外すぐに打ち解けられるのですが、後者の場合は隙あらば机に突っ伏しています。後者に関しては、「この人を雇っている会社も大変だろうな…」と、変な同情をしてしまいます。

プライドが高いと、素直に人の話を聞けなくなるものです。これは社会人経験年数を重ねるほど、陥りやすい罠ですね。
私も最近、手相屋さんから「謙虚じゃない」と言われまくったので、本当に気をつけないといけないなぁ…と…(自虐)。

研修慣れしている人にありがちなこと

まぁこれはイカの干物帽子かぶっているような奴にありがちなんですけど(自虐)、自己紹介がやたらこなれていたり、休憩時間に隣の人に話しかけてみたり、そんで互いの目指しているキャリアの話で盛り上がったり、そのくせ研修が終わると「ありがとうございましたー」と挨拶してソソクサと退散するんですわ。全部自虐なんですけど。

社会人向け研修って、自己啓発本に近いところがあって、「受けたけど身につかない」というのが一番の難所なのですよね。
私も、受けた研修全てが身についているかというと、正直に言うとそんなことないです。体感としては50〜60%くらいでしょうか。

そんな私でも、ちゃんと身についたな、と思える研修の共通点としては、以下ですね。
①自分の中に明確な課題意識があって、それを解決したくて参加した(自発性)
②自分の課題と、研修内容がちゃんと合致した(テーマの一致)
③個人ワークとグループワークの両方がある研修だった(ワーク方法の多様性)

①が何より大事だと思います。「私の仕事における今の壁は何なのか?何が課題なのか?どうしたら解決できるのか?」…この課題意識が明確に浮き彫りになっていればいるほど、研修効果は高いと思います。
また、②についてですが、①の課題意識に対して、ちゃんと研修テーマが一致していることも大事です。なので、研修内容の事前チェックが不可欠です。
③については、グループワークだけでなく、「個人の成果についてもフィードバックされる個人ワーク」もある研修がいいですね。グループワークだけだと、どうしても個人の責任や成果が薄まってしまって、個人として身についているかがわからないのです。ちゃんと個人として研修での学びが身についたか、それを講師にフィードバックしてもらえるか、そこまでフォローしてくれる研修だと良いと思います。

社会人の学びと労働者の生存戦略

社会人の学びは大切です。

(ここから毒舌)というか、学び続けて仕事に活かしていかないと、労働市場における自分の価値はどんどん低くなるので、将来食いっぱぐれたくないなら勉強した方が良いと思っています。よく、「若いうちに結婚しないと…」と言いますが、結婚市場よりも労働市場の方が断然シビアだし、それを自覚せず呑気に現状に甘んじている人が結婚市場云々言っているのを聞くと、「他人の事より自分の食い扶持の心配しろよ」と思っちゃう、という毒舌は少々脇に置いておきましょうかね。(ここまで毒舌)

今後、労働市場はより流動性が高くなることと、労働者の価値は「企業が求める成果を安定的に出せる=能力として身についている」という傾向が強くなるだろうと、私個人としては予測しています。

また、技術の進化は絶えず起き続けていて、「人間でなければできない仕事」の領域は狭くなっていきます。

労働市場の変化と技術の進化。この両面から、労働者は「生存戦略」を迫られています。どう生き残るか…今の会社に何があっても定年まで居続けるか?もしくは、労働市場価値の高い労働者になり、いつでも転職に備えるか?いっそのこと起業するか?副業するか?
…選択肢はいくつもあります。収入に関する自分の価値観に沿って、その戦略を決めれば良いと思います。

私が危惧しているのは、「労働者にも生存戦略が必要だ」ということを自覚していない社会人が多すぎる、という点です。どうして現状維持のままで生き続けられると、何の疑いもなくいられるのだろう、と。

社会人向け研修に参加すると、多かれ少なかれ、この意識を持つ人達と出会えます。「社会復帰をするにあたって、こういう研修に参加することが必要だ」「仕事をする上で、自分にはこういうスキルが足りない」…こういう動機で参加する人達を見ると安心するし、切磋琢磨し合えるのです。

だから、社会人の学びは大切です。個人の成長に対する飽くなき意欲と、社会の変化に対する危機感をもって、戦略的に学ぼうとする社会人が増えて欲しいと思っています。

わたしも研修にはよく参加しますが、会社の金で参加している口です(笑)
わたしが参加するのは業務内容に特化した研修が多いので、ここまで顕著ではないですが、参加者の特徴に思わず「あるある」と頷いてしまいました。
就職すれば当たり前にそこで定年を迎えられた時代はとうに終わったのに、未だに危機感のない人が多いのも事実。研修に限らずですが、折角の機会を逃すなんて勿体ない!少しでも多くの物を吸収して自分の血肉としていきたいものです。