虐待家庭のような部長と課長の関係

こんにちは、トフィーです。今日は虐待家庭のような職場の様子をお伝えいたします。

虐待家庭の1つのあり方に、「親が子どもである兄弟・姉妹によって扱い方を変える」というものがあります。
例えば「兄には溺愛するが(愛玩子)、その妹に対しては虐待をする」→「子どもたちが経済的に自立したあと、虐待していた方の子どもから、何かと理由をつけて金銭的搾取を行う(搾取子)」というようなものです。

「母に支配される娘」のどうにもならない葛藤 | 家庭 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準


それに近しいことが、前職の会社でも起きていました。
それは、部長と二人の課長の間で起きていたことで、「まるで虐待家庭を見ているようだ」と思わされたものでした。

部長はこんな人

部長は、創業時からの叩き上げで、会社の中でも有力な地位に登り詰めた人でした。それだけに優秀な人だったとも思います。
また、管理職として「責任を取る」というところを重視していたこともあり、部下が勝手な行動をすることを許さず、まずは自分に情報が来るように徹底していました。

課長AとBはこんな人々

課長Aもまた、20年近くこの会社に勤めていた人で、バリバリと仕事をする人でした。ただ、中間管理職としての「バリバリ」ではなく、実務担当者として「バリバリ」なのですが…。
結局、自分一人で実務仕事を抱えて、自分だけが大きな負担を背負い、周囲に「自分ばっかり大変だ」と呟いている人でした。
尚、私はこの人の部下でした。

課長Bは、まだ20代の女性でした。ちょうど会社が「若手にチャンスを」という方針に切り替えたときに、課長ポストに抜擢されたのでした。
そのポストは、私の働く課の隣の課だったので、業務的にも近しかったのですが、課長Bがどんな人なのかまで実感できるほどには、あまり時間を共有していません。

部長と課長2人の関係

冒頭に書いた「愛玩子と搾取子」で例えると、部長が親で、愛玩子が課長B、搾取子が課長Aでした。

部長は何かと課長Bと会議を開きたがりました。
一方、その皺寄せを食うのは課長Aでした。あまりにも多くの業務を抱えているAは、各業務で緊急のことが起きると、部長に報告しなければなりません。しかし、部長が課長Bと会議中だと、部長は後回しにしたがります。
結局、その後回しのせいで、大なり小なりトラブルが起こります。
「トラブルになるくらいなら、課長Aにもっと権限委譲して、現場判断させれば良いのに…」と思ったものでした。

また、課長Aが業務を多く抱えているのは、課長Aにも問題があるとは言え、部長が根本の原因でもありました。明らかにこの課ではない仕事も、課長Aに振りたがるのです。
「それは課長Bのところの仕事だろう!」と言いたくなる仕事も、ちょくちょくありました。
なまじ課長Aがちゃんと仕事するものだから、他の人よりも仕事の上では信頼していたのでしょう。
課長Aの負担がどんどん増える…それが「搾取されている」ように、私の目には写ったのです。

しかし、この状況でも、部長が課長Aを少し褒めると、課長Aが喜びを隠せないでいる様が、最も気色悪く感じられました。

f:id:himojo_zemi:20171210222528p:plain


部長にとっての愛玩子・課長Bと、搾取子・課長A。今思い出しても、不健全な関係だったと思います。

会社内における依怙贔屓

経営というのは、合理的な側面と、人情的な側面があります。組織を作る上で、合理的なルールがなければ、社員は会社に不満を持ち、退職に繋がります。
しかし、やはり人同士で運営するものなので、「お気に入り」みたいなものはできてしまうのです。そしてそれは、役職が上になり、権限が大きくなればなるほど、「お気に入り」と「非お気に入り」の格差が目に見えて表れるのです。
そこから社内政治やら派閥やらが産まれてくるのですね。

馬鹿馬鹿しいなぁと思いつつ、私も、もしも起業する…なんてことになったら「一緒に働いていて楽しい人とやりたい」と思うので、そう考えると仕方ないことなのかもしれません。

ただ、社内政治上手=昇格・昇進の必須要件、みたいになっている会社には間違いなく未来はありません。事実、ここで描写した会社は、事業縮小しましたからね!

ところで、あなたの会社は大丈夫ですか?

相性が合う合わないは、ある程度しょうがない部分もあるけど、ここまで露骨にそれを反映させると、円滑な業務が妨げられ、会社全体に不利益が及ぶでしょうね。
労働力の搾取って社会の中で当たり前のように行われているけど、家庭内の問題に置き換えるとこんなに不自然な事なんだなぁ。
私も当事者にならないよう敏感でいないと!と思わされました。

オカッパあるある

f:id:himojo_zemi:20171129075204j:plain

 

なつめです♪髪を切りたての時はセット頑張るけど、数日で手抜きになるという(笑)
ロングだと誤魔化しやすいんですけど、ボブはちゃんとセットしないと、座敷童子かちびま〇子ちゃん街道まっしぐらなんですよね……。

ドラマ「コウノドリ」で気付いた「イクメン」への違和感の正体

なつめです。未婚干物女ですが、今回は子育てについて偉そうに書いてみました!

f:id:himojo_zemi:20171118234051j:image

2010年に厚生労働省が始めたプロジェクトをきっかけに「イクメン」という言葉が使われ始め、現在その言葉は当たり前に知られるようになってきました。
わたしも、男性の子育て参加を歓迎する大勢のうちの一人です。それなのになぜか「イクメン」という言葉を聞く度に何かザワザワする気持ちが湧き上がってくるのです。ただそのザワザワの正体は分からずにいました。

 

それが先日「コウノドリ」という周産期医療センターを舞台にしたドラマを見ていた時のことです。
出産直後の妻が、心疾患の見つかった我が子の子育てに対する不安を口にした時に、ナオトインティライミ演じる夫が言った言葉。

「大丈夫だよ。俺も手伝うから」

──ざわざわざわざわ。
イクメン」という言葉を聞いた時と同じ違和感を覚えました。

そして次の瞬間、星野源演じる産科医が言い放った言葉を聞いて私は叫びました。(心の中で)

「何言ってるんだ。手伝うじゃないだろ。あんたの子どもだよ」
これだーーー!!

 

ナオトインティライミ(仮名)の発言は一見「協力的ないい夫」を思わせる言葉でした。そして、ナオトインティライミ(仮)自身もきっと自分は「協力的ないい夫」だと信じて疑っていなかったと思います。
でも「手伝う」という言葉は裏を返せば「当事者ではない」=「当事者はあくまで母親」という事になるんですよね。
イクメン」という言葉に私が感じていた違和感もそこにあったのだと思います。

夫が子どもをお風呂に入れたり、ご飯を食べさせたり育児に協力してくれたら、それは妻も助かるでしょう。
でもその何倍も、何十倍もの事を妻は普段からやっているんですよね。それでも妻は「イクウーメン」なんて呼ばれません。それは語呂が悪いからだけでなく、「当たり前」の事だからです。
「今日も赤ちゃんのオムツ換えてあげたの?偉いわね」なんて言われません。それは「当たり前」の事だから。育児の当事者はいつだって母親なのです。

わたしの周りの「イクメン」を自称する夫達も「自分は手伝う立場」である事を疑いもせず、ほんの少しのサポートで「俺子育て頑張ってます」ってドヤ顔してくる人がものすごく多いです。そこに私はザワザワしていたんだと思います。

 

それはコトバンクの「イクメン」の定義にも表れています。

イクメン」とは「子育てする男性(メンズ)」の略語。単純に育児中の男性というよりはむしろ「育児休暇を申請する」「育児を趣味と言ってはばからない」など、積極的に子育てを楽しみ、自らも成長する男性を指す。実際には、育児に積極的に参加できていなくても、将来的にそうありたいと願う男性も含まれる。

え?!実際には参加出来ていなくても?!
そうありたいと願うだけで?!?!
君も今日から「イクメン」だ☆?!?!?!

そんなバカな話があるかーーー?!
じゃあなにか?わたしが将来的に石原さとみになりたいと願ったら、実際にはそうでなくても「わたし、石原さとみです」って言っていいってこと?!?!(混乱)
そんな顔面詐称がまかり通っていいのか?!?!?!(脱線)

……あまりの驚きに取り乱しましたが、イクメン界(?)ではそんな横暴が普通に認められてるというわけです。

 

出産・育児ははっきり言って平等ではありません。子供を産めるのは女性だけです。そして、共働きの家庭においても、子供を育てるのは当然女性という考え方は根強いです。
個々の男性だけを責める事は出来ません。男性も育児に参加しようという働きかけが始まってから、たかだか10年未満。制度上は男性も育児休暇を取れる会社でも、周囲の理解はまだまだ追い付いておらず、取得のハードルは女性よりもずっとずっと高いのが現状です。

 

だから、「夫も妻と同じ時間育児に参加しろよ!」なんて言うつもりでこの記事を書いたわけではありません。(そもそも言える立場にはありませんが)
ただせめて、「イクメン」よりももっとずっとたくさんの時間や労力を使い、育児と向き合っている母親の頑張りを「当たり前」で済ませないでほしい。夫だけでなく、周囲の人々がそんな母親達を温かい目で見守り、時には褒める事の出来る社会であればと願います。
その意識があれば、電車の中で少々子供が泣いてもイライラしないだろうし、席だって気負わずに譲れると思うし、そしてそういう優しい気持ちに囲まれていたら育児に携わるストレスも少しは減るのではないでしょうか?

 

育児の当事者どころか、手伝う側でもない干物女が偉そうにと思われるかもしれませんが、干物女だからこそ、子供を産み育ててる人はそれだけで尊敬に値する存在だと常日頃から思っています。

イクメン」について、ここまで考えたことがなかった!!!
役割分担の比率は各家庭で合意すればいいと思います。ただ、だからって、お互いの役割に無関心なのは、せっかくの家族なのに物悲しいですよね。
子どもが絡んだら尚のこと。私は親の立場になったことも、なる予定もないので、その立場からは語れません。ただ、子どもだった時代を思い返すと、両親が常に私を大切にしてくれていました。子どもって親からの愛情に敏感なのですよね。
愛情という名の「子育ての当事者意識」があれば、きっと子どもに伝わると思います。

大人になっても学びたい!社会人向け研修に参加する人々

トフィーです。意識高い系なもので、社会人向け研修が大好きです。今までにも色んな研修に参加してきました。そういった場所で出会う人々にも特徴があるので、デフォルメしてお伝えしたいと思います。

社会人向け研修とは、何らかのスキルを持つプロの講師の講義に、社会人が参加して学ぶというものです。様々な研修テーマ、研修期間があります。また、参加する人々も、「社会人」ということ以外は、年齢やキャリア、職種などもマチマチですが、多くは会社員、事業者、主婦、といったところです。私が過去に参加した研修に、「タイムマネジメント」「ロジカルシンキング」「プレゼンテーション研修」などがあります。

社会人向け研修で、よく使われる「研修の流れ」があります。
それは座学+グループワーク。講師から知識を学び、その後にグループワークで練習するというもの。このグループワークの時に、参加者の個性がよく出て面白いのです。

自費で参加している人にありがちなこと

特に女性に多いのですが(というか男性で自費参加している人に会ったことがないのですが)、「子育ても一区切りしたし、今度は別の仕事(もしくは社会復帰)に挑戦したい」という方が多いです。こういう方は、自発的に研修を見つけ、自費で参加していることが多く、とてもパワフルです。発言量も多く、グループワークの課題にも真面目に取り組もうとします。

やや難点があるとすると、「グループワークに不慣れ」というところ。(とは言え、不慣れなことを練習するのが社会人向け研修なので、それは全然構わないし、こういう機会で慣れていけばいい、という前提での指摘です。)

「自らリーダーにはなろうとしない」「どうやってグループとしての結論を合意したらいいかわからない」…という姿をお見かけします。

恐らく、複数人でのディスカッションを通して結論を出し、アウトプットを作るという一連の流れについて経験不足だったり、自信がなかったりするのだと思います。

私個人としては、それでも「ハイッ!」と、率先してリーダーをやる気概が大事だと思っています。何事も経験ですし、失敗してこそ人は「次はどうやったら上手くいくだろう」と考え始めるものですし。

f:id:himojo_zemi:20171105163129p:plain

パワフルな人が多いので、あとはもう一枚自分の殻を破ったら、どんどん成長していきそうだなぁ、と思わされるタイプの人達です。

OffJTで参加している人にありがちなこと

多くの男性と、たまに女性でもお見かけするようになったのが、このタイプ。勤務先が研修会社と提携していて、会社の費用で参加する、というパターン。

このタイプの特徴は、プライドが高い(笑)

社会人経験がある分、グループワークでも発言するし、リーダーシップも発揮する。時には「自分が正しい」と譲らない姿も見受けられます。それが正しい場合もあるのですが、間違っている場合だと悲惨です。グループの結論があらぬ方向へ行ってしまい、発表段階で、あまりの間違え方に他のグループや講師も苦笑い…なんてことも。
こういう人は、グループワークのメンバーのみならず、講師の事前の講義内容さえもちゃんと聞いていないのだろうな…と思わされます。

f:id:himojo_zemi:20171105170727p:plain

逆に、全く発言をしない人もいます。初対面の人と話すのが苦手な場合と、「何でこんなのに参加しなきゃいけないんだ」オーラ全開の場合があります。前者の場合は話しかければ案外すぐに打ち解けられるのですが、後者の場合は隙あらば机に突っ伏しています。後者に関しては、「この人を雇っている会社も大変だろうな…」と、変な同情をしてしまいます。

プライドが高いと、素直に人の話を聞けなくなるものです。これは社会人経験年数を重ねるほど、陥りやすい罠ですね。
私も最近、手相屋さんから「謙虚じゃない」と言われまくったので、本当に気をつけないといけないなぁ…と…(自虐)。

研修慣れしている人にありがちなこと

まぁこれはイカの干物帽子かぶっているような奴にありがちなんですけど(自虐)、自己紹介がやたらこなれていたり、休憩時間に隣の人に話しかけてみたり、そんで互いの目指しているキャリアの話で盛り上がったり、そのくせ研修が終わると「ありがとうございましたー」と挨拶してソソクサと退散するんですわ。全部自虐なんですけど。

社会人向け研修って、自己啓発本に近いところがあって、「受けたけど身につかない」というのが一番の難所なのですよね。
私も、受けた研修全てが身についているかというと、正直に言うとそんなことないです。体感としては50〜60%くらいでしょうか。

そんな私でも、ちゃんと身についたな、と思える研修の共通点としては、以下ですね。
①自分の中に明確な課題意識があって、それを解決したくて参加した(自発性)
②自分の課題と、研修内容がちゃんと合致した(テーマの一致)
③個人ワークとグループワークの両方がある研修だった(ワーク方法の多様性)

①が何より大事だと思います。「私の仕事における今の壁は何なのか?何が課題なのか?どうしたら解決できるのか?」…この課題意識が明確に浮き彫りになっていればいるほど、研修効果は高いと思います。
また、②についてですが、①の課題意識に対して、ちゃんと研修テーマが一致していることも大事です。なので、研修内容の事前チェックが不可欠です。
③については、グループワークだけでなく、「個人の成果についてもフィードバックされる個人ワーク」もある研修がいいですね。グループワークだけだと、どうしても個人の責任や成果が薄まってしまって、個人として身についているかがわからないのです。ちゃんと個人として研修での学びが身についたか、それを講師にフィードバックしてもらえるか、そこまでフォローしてくれる研修だと良いと思います。

社会人の学びと労働者の生存戦略

社会人の学びは大切です。

(ここから毒舌)というか、学び続けて仕事に活かしていかないと、労働市場における自分の価値はどんどん低くなるので、将来食いっぱぐれたくないなら勉強した方が良いと思っています。よく、「若いうちに結婚しないと…」と言いますが、結婚市場よりも労働市場の方が断然シビアだし、それを自覚せず呑気に現状に甘んじている人が結婚市場云々言っているのを聞くと、「他人の事より自分の食い扶持の心配しろよ」と思っちゃう、という毒舌は少々脇に置いておきましょうかね。(ここまで毒舌)

今後、労働市場はより流動性が高くなることと、労働者の価値は「企業が求める成果を安定的に出せる=能力として身についている」という傾向が強くなるだろうと、私個人としては予測しています。

また、技術の進化は絶えず起き続けていて、「人間でなければできない仕事」の領域は狭くなっていきます。

労働市場の変化と技術の進化。この両面から、労働者は「生存戦略」を迫られています。どう生き残るか…今の会社に何があっても定年まで居続けるか?もしくは、労働市場価値の高い労働者になり、いつでも転職に備えるか?いっそのこと起業するか?副業するか?
…選択肢はいくつもあります。収入に関する自分の価値観に沿って、その戦略を決めれば良いと思います。

私が危惧しているのは、「労働者にも生存戦略が必要だ」ということを自覚していない社会人が多すぎる、という点です。どうして現状維持のままで生き続けられると、何の疑いもなくいられるのだろう、と。

社会人向け研修に参加すると、多かれ少なかれ、この意識を持つ人達と出会えます。「社会復帰をするにあたって、こういう研修に参加することが必要だ」「仕事をする上で、自分にはこういうスキルが足りない」…こういう動機で参加する人達を見ると安心するし、切磋琢磨し合えるのです。

だから、社会人の学びは大切です。個人の成長に対する飽くなき意欲と、社会の変化に対する危機感をもって、戦略的に学ぼうとする社会人が増えて欲しいと思っています。

わたしも研修にはよく参加しますが、会社の金で参加している口です(笑)
わたしが参加するのは業務内容に特化した研修が多いので、ここまで顕著ではないですが、参加者の特徴に思わず「あるある」と頷いてしまいました。
就職すれば当たり前にそこで定年を迎えられた時代はとうに終わったのに、未だに危機感のない人が多いのも事実。研修に限らずですが、折角の機会を逃すなんて勿体ない!少しでも多くの物を吸収して自分の血肉としていきたいものです。

旅行カバンの中に入っていたもの

なつめです♪先日トフィーさんと旅行した時に気付いた事をマンガにしてみました。

f:id:himojo_zemi:20171029222710j:plain

f:id:himojo_zemi:20171029222718j:plain

よく「マイペースだね」とか「何も考えてなさそうと言われる私ですが、実は割と気を遣う方で、それが自分でももう気付かないくらい自然と染み付いています。
なので、仕事でもプライベートでも、周りの人が不快に思わないようできる限り配慮して生活していますが、元々の私はもっとずっとズボラでだらしなくて、どうしようもなく子供です。

トフィーさんとの旅行は今回が二回目でした。前回の旅は、ネットで知り合い仲良くなった私達の初対面でもありました。
思えば一回目の旅行はもっと大荷物だったし、旅先のリサーチや計画も綿密に行っていたと思います。
それもこれも、「こんな事が起きたらどうしよう」「それで相手が嫌な気分になったらどうしよう」「そのせいで旅行が台無しになったらどうしよう」というたくさんの心配や不安があって、何が起きても大丈夫なようにたくさん準備していたんですよね。

それに引き換え今回の旅は……、ちゃんとリサーチしていなかった事やトフィーさんに気を許してしまっている事が原因でたくさんの失敗がありました。
いつの間にか被っていた帽子が無くなっていてトフィーさんに探しに行ってもらったり、夜景スポットへ向けてドライブしていたら、いつの間にか元の場所に戻って来ちゃってたり、評判の海鮮丼のお店は予約でいっぱいだったり。
でも本当はわたし、こういう行き当たりばったりの旅が好きなんですよね。予定にない行動をした事で、新たな発見や出会いがあるのって旅の醍醐味じゃありませんか?

でも、そんな旅が出来たのは、どんなアクシデントも一緒に楽しんでくれる旅仲間あってこその事だと思います。
荷物の減ったカバンの余白には、相手への信頼と安心が詰まっているみたいです。

トフィーさんありがとう!!

「仕事に学歴は関係ない」という言葉の残酷さ

お久しぶりです、トフィーです。「仕事に学歴は関係ないんだよ」と嬉しそうにグダ巻いている方を飲み屋でお見かけしたので、「あなたが言っている言葉の真の意味は、こういうことなんですよ」と内心で思っていたことを、記事にします。

「仕事に学歴は関係ない」という言葉の残酷さ

この言葉、大人が好き好んで使います。要は「学歴が低くても、努力次第で仕事で活躍できる」というポジティブな文脈で使われます。
しかし、この言葉に潜む残酷さについては、あまり語られていないように思います。

確かに学歴に関係なく、人は仕事で活躍できるものです。極端な例を挙げるなら、芸術のような領域では学歴がいかに無関係か、想像しやすいと思います。
それは頭脳労働でも同様で、学歴は関係ないことがあります。言ってしまえば「地頭の良さ」で勝負する人達です。

本当に地頭が良い人というのは、常人では辿り着けない思考の深さや広さ、思考スピードを持っています。それを着実に仕事の成果に結びつけるのです。

私の会社の社長がまさにそういう人です。学歴はあまり高くないのですが、業界でも地位を築いていて、他の東大卒の重役から「天才だ」と言われるような人です。

社内の日常の一風景

f:id:himojo_zemi:20171021202650p:plain

f:id:himojo_zemi:20171021202735p:plain

f:id:himojo_zemi:20171021202752p:plain

f:id:himojo_zemi:20171021202802p:plain

 

アートの領域

学力というのは、教育学という科学分野で扱う領域であり、科学(サイエンス)である限りは再現可能=他者への伝達が可能、ということになります。
一方、天賦の才というのは、先天的な器質の恩恵によるものであり、属人的で芸術(アート)に近い領域です。うちの社長の思考の凄さは後者の能力です。

「仕事に学歴は関係ない」、確かにそうです。しかし、それは低学歴を救う言葉ではなく、「学歴が低い高い、努力したしないに関係なく、大多数の常人を圧倒する人が仕事の現場にはいる」ということであり、そして「それは他の人では再現不可能な、天賦の才である」という残酷な事実の裏返しなのです。

私自身は、人は成長するし変化する生き物だと信じています。しかし、そうした凡人の成長では追いつけない領域があることもまた、現実のこととして受け止めています。

王様

大きな窓を開けると朝のきりっとした空気が部屋にいっせいに入り込んでくる。それを慌てて自分の身体と共にベランダへと押し出し、私は後ろ手に窓を閉めた。
世界は既にほんのり色付き始めていた。私は夜と朝の境界を見逃すまいと東の方角に目を凝らす。そして感嘆の声を漏らす。

f:id:himojo_zemi:20171009070209j:image

その瞬間を目にしたのは初めてでは無いはずだった。しかし、こんなにも一瞬で世界は変わってしまうものであったか。
ベランダに素足のまま立ち尽くした私はしばし世界を独り占めする。頭の隅で、きっと同じように、今この瞬間の世界を自分の物と決めた人が数え切れない程いるんだろうなと思うと、ちっぽけな自分が滑稽で可愛らしく思えた。

湖面を優雅に游ぐ鴨や、跳ねる魚。隊を成して飛ぶ鳥の群れ。世界にただ一人だった私の時間が動き始める。気付けばそれらは照らし出される前から、自分の存在を知らせていた。
虫の音を聞きながら、あの虫も同じようにこの世界を独占する事があるのだろうかとふと考える。学校の先生は人間の思考力を特別な物と教えたが、切り取った世界のたった一片がこんなにも美しいのなら、私も、虫も、大して違いはないように思えた。

自分のくしゃみの音に、冷え始めた身体に気付く。自分の身体さえ思うようにならない事が、もどかしくも愛しい。
さっきまで王様だった私は、背を屈めてベランダに転がっていたピンク色の傘をたたんだ。

部屋に戻ると寝息が聞こえる。
私は一人では無かった。