なりたい自分になるために~ミラーニューロンの働きを考える~

なつめです。可愛いおばあちゃんになるために、日々人間観察を行っているのですが、先日こんな気付きがありました。

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噂話や悪口を好む人の周りには、同じようにゴシップを好む人たちが集まる。その逆も然り。この現象を皆さんも目にしたことがおありではないでしょうか?
関心事や価値観が似ている人が集まるのは不思議なことではありませんよね。

しかし私のこの考えが揺らぐような、あるご夫婦との出会いがありました。
そのご夫婦は結婚して30年。驚くほど雰囲気が似ているのです。先程の理屈からいけば似たもの同士が惹かれあって結婚したと考えれば何も不思議はないのですが、どうも話を聞くとそうではないらしいのです。
結婚当初は性格も趣味も全くの正反対で、奥さんは「アウトドア派でしっかり者、誰に対してもはっきり物を言うタイプ」旦那さんは「パソコンが趣味で、事なかれ主義の引きこもりタイプ」だったそうです。
それが、30年も連れ添ううちに徐々に、好みや趣味、価値観、性格、なんと外見まで!似てきて、今ではソックリになったとの事。

その話を聞くうちに、わたしの中で一つの考えが浮かびました。

「もしかして、似たもの同士が集まるのではなく、一緒にいるうちに人は似てくるものなの?!」

この仮定を裏付ける証拠を調べていくうちに、ミラーニューロンという細胞にたどり着きました。

ミラーニューロンとは

ミラーニューロンとは、自ら行動する時と他の個体が行動するのを見ている状態の両方で活動電位を発生させる神経細胞
他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように〝鏡〟のような反応をする事から名付けられた。

これによると、私たちには身近な人の言動を見ただけで、まるで自分が実際に行ったかのように脳が錯覚してしまう働きが備わっているそうです。実際には体験していない事でも、脳内でその出来事が再現される事により、私たちは一緒にいる人たちから非常に大きな影響を受けている。いつの間にか、同じような思考パターンが形成されていき、同じような行動をしやすくなっていくのも、このミラーニューロンの働きだと考えられています。(※ミラーニューロンについては研究途中で、まだ分かっていないことも多いそうです。)

私はどちらかと言うと、「苦手な人でもあえて自分から近づいていって、関係を改善するために頑張ろう!」とする方です。
でもこの考え方は、先ほどの説から行くと、とても危険な考え方だと言えます。
苦手な人に近付けば近付くほど、私はその人を鏡に映したかのような「似たもの同士」になってしまうという事になるからです。なんてこったい/(^o^)\

なりたい自分になるために

私は職業柄、「将来自分はどんなおばあちゃんになるだろう」とよく考えます。そして、周りのおばあちゃん達を観察し、「将来どのおばあちゃんみたいになりたいかな」と心の中で問いかけます。
そんな時、今も忘れられない1人のおばあちゃんの顔が思い浮かびます。

その方はかなり認知症が進行し、家族を忘れてしまうというレベルはとっくに過ぎて、言葉を理解できない、食べる、排泄するといった基本的な動作も忘れてしまっている、そんな状態でした。

もちろん会話らしい会話はできないのですが、その方が最期まで話せたたった二つの言葉は「ありがとう」と「あなた綺麗ね」でした。 その方は血液を上手く作れない病気で、最期はひどい貧血で本当にしんどかったと思いますが、それでも最期までニコニコしながら、その二つの言葉を私にかけてくれました。
以前から「可愛いおばあちゃんだな」と思っていましたが、看取りの最期の時期には圧倒される思いでした。

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認知症は病気なので、もちろん、発症後の言動だけでその人の人格や生き方全てを決める事はできません。
それでも、一体どんな生き方をすれば、この方のようにポジティブで人を幸せにする言葉だけが最期に残るんだろう。その方の人生に思いを馳せずにはいられませんでした。

その日からそのおばあちゃんの姿は、わたしの将来の一つの理想となっています。

わたしは、決して常に不満を抱き、他の人の不幸を喜ぶような人間にはなりたくありません。
そのために今、自分が心地よいと感じる人、自分が理想と感じる人と一緒にいて、たくさんその人の言動から「疑似体験」する事で、少しでもなりたい自分に近付けたら良いなと思います。

いわゆる「ミラーリング」と呼ばれる行為が、脳の仕組みによるものだった…面白いですね。ぜひ研究が進んで欲しいです。自分語りになって恐縮ですが、私は半自覚的に、かなりの頻度でミラーリングしています。半自覚的というのは、「あ、今、私、目の前の人が水を飲んだから水飲んだ」と、ミラーリングしてから自分で気付くのですが、その行動をした瞬間は無自覚だし、自分でも止められないという。
そして素敵なおばあちゃんのエピソードにホロリ…。いいなぁ、そんな最期を迎えられるようになりたいなぁ。うっかり「どうも、トフィーです」とかリアルで名乗る婆ちゃんになってたらどうしよう…。

「昔の恋人が忘れられない」

元カノが結婚することを聞いたA君。

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元彼のFacebook記事を毎時チェックするBちゃん。

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A「辛いことがあったらいつでも相談に来てもらって構わないんだけどな」
B「うわ、女と映ってる……最悪……別れたから関係ないけど……」

 

元彼から再アプローチを受けたC子。

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C子「っていうかB、まだ元彼のこと引きずってるらしいよ?今の彼氏と別れて元彼に告白するって息巻いていたし」
干物女「周りが言っても聞かないし、燃え尽きるまで好きにやらせとこ」

マジで解せない。

どうも、トフィーです。付き合っている最中に、悩まされる方と悩ませる方がいると思うのですが、別れた後に、悩ませていた側の方が未練タラタラになるのが興味深いです。

上記例のA君と付き合っていた彼女は、生活のすれ違いと、それを気にかけてくれない彼氏に耐えられなくなり、別れたという経緯があります。A君は今でも「もしあいつが旦那と別れて俺のところに来たら絶対受け入れて養う」とか言っています。どこから来るんだ、その上から目線と自信は。

一方、Bちゃんは、かなり気が強いしっかり者で、彼氏が少しでもダラシないことをすると説教をして、その子細を周囲の友人にも言いふらす子だったのですが、それに耐えられなくなった彼氏が別れを切り出したのでした。

C子の場合は、付き合っていても彼氏が冷たいわ、他の女の子の方が仲良いわで、耐えきれず別れていたのでした。C子にとっては、元彼からのFacebook申請は、絶好の復讐のチャンスだったのではないでしょうか。おかげさまで、この時のお酒はおいしかったです(笑)

それにしても、上記3例のような場合、「別れてから未練タラタラになるくらいなら、どうして付き合っている最中にもっと相手を大切にしないかね…」と、本当に不思議です。そして、付き合っている相手に対してそんな扱いをしておいて、まだ復縁を期待することも謎です。

推測するならば、「悩ませる側」は相手から振られるなんて夢にも思っていないから、別れを切り出されて初めて激しい動揺と未練が生まれるのかもしれませんね。

脳内労働組合

なつめです。よく「発想が豊か」と言われるんですが、時々妄想が止まらなくなることがあります。先日もこんな事がありました。

 

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最近は「お休みを頂く」という表現には賛否両論あり、あまり使われなくなってきているようですが、私この表現悪くないと思うんですよね。
ただ脳内のちっさいオッサン達はそうは行かないみたいで、この言葉を私が発すると脳内労働組合で暴動が起こります。
色々調べては見たのですが、暴動をなだめ、尚且つしっくりくるような表現がなかなか見つからないんですよね。日本語って難しい。
皆さんはどうなさっていますか?

男女の友情は成立するか、と問う人々

男女の友情は成立すると思いますか?…と、今まで何回話題にしてきましたか? この話題、結構盛り上がるのですよね。

「男女の友情は成立するか」という問いは、色んな場面で盛り上がる話題だと思います。統一見解があるわけではないので、自分が見聞きしたことを基に、自由に意見を出せるのですよね。

実際、ツイッターでアンケートを取ったところ、約200票の投票と、数名の方々が意見を述べてくださいました。ご協力ありがとうございます。
66%が「成立する」、34%が「成立しない」というアンケート結果となりました。
コメントを見ると、それぞれの意見についてしっかりした持論を持っていらっしゃるようでした。


同じ問いなのに、様々な見解が出せるのは、それだけ個人によって「男女の友情」に関する経験が異なることの表れです。

男女の友情が成立する、という状態の定義

男女の友情が成立するか否かの分かれ目について、事実をできるだけ正確に描写すると、「男女の友情が成立するかどうかは、そこにいる男女の性欲の強弱と、相手への関心の高低による」というものなのでしょう。
マトリックスにするとこんな感じでしょうか。

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双方がこの両方を満たしていれば、男女の友情は成立していると言えるのでしょう。そういう人達は「男女の友情は成立する」と言い切ると思います。
ただ、それは永続的と断定できません。どこかのタイミングで異性として意識する瞬間が訪れ、友情から恋情へと変化することもあります。
そういった感情の変化を経験した人は「やはり男女の友情は成立しない…」と答えを出すわけです。

感情の量的変化と質的変化

同性同士の場合、友情が深まっていくことはありますが、友情のままです。友情が深化(量的変化)しても、友情から恋情へ変化(質的変化)することは、基本的にはないのです。
一方、異性同士であれば、時には友情から恋情へと、感情の質的変化する可能性も孕んでいます。

逆に、恋情から友情に変化することはあるのでしょうか?
あると思いますが、少数派でしょう。
なぜここで少数派と言い切るか、というと、多くの男女が簡単に恋情→友情に変化するのなら、「男女の友情は成立するか?」という問いそのものが成立しなくなるからです。「男女に恋情が芽生えたら友情ではなくなる」という前提があるからこそ、「男女の友情は成立するか?」と、問いが立つのです。
多くの人が、恋情から友情に戻れなかったからこそ、「男女の友情は成立するか?」と問うてきたのでしょう。

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男女の友情は成立するか、と問う人々

「男女の友情は成立するか」と問うた時、答えの根拠となるのは、基本的に自分が見聞きした範囲の経験となります。具体的な統計データがあるわけでもないですし、学術的な答えがあるわけでもないですからね。
つまるところ、多くの人々は、「男女の友情は成立するか?」と言いながら、「男(女)である私は、異性に対して友情を維持し続けられる人間か?」という自己紹介をしているわけです。

干物女は男女の友情を成立させられるか

古今東西の多くの人々に倣って、私も男女の友情に関する自己紹介をしようと思います。

正直に言うと、私が男性と友人になるとき、異性として何らかの魅力を感じているときです。それがないと「友人」として顔を思い浮かべられません。

だけど、ここからが干物女たる理由なのですが、異性としての魅力を感じていても、恋情に直結しないのです。

「男性として魅力的だなぁ」と思っても、すぐに「この人が好き!」とはならないのです。
「こういうところが男性的で魅力的、だけどこういうところは男性として苦手な部分」と観察してしまいます。特に男性の高圧的態度、権威的態度に苦手意識あるので、そういう部分が垣間見えると、怯えてしまうのですよね…異性として見ているからこそ目につく怖い部分。

結果、男性の高圧性や権威性が私に猛威を振るわない距離感、つまり友情、友人関係に収まるのが一番落ち着くのです。

ここ数年、どうもこういう傾向にあります。昔はもっと肉食系だったのですけどね…もしかして私が頭にかぶるべきなのは、スルメではなくて干物肉なのかもしれません(笑)


※この記事は便宜上、異性愛の男女を前提として書いておりますが、もちろん同性愛の場合でも、「恋愛対象である性に対して友情が成立するかどうか」という点で同様です。

実施したアンケートでも「自分は異性に対して友情を維持し続けられる人間か」という視点と、「異性が自分(または観察事例における対象者)に対して友情を維持し続けられたか否か」という視点の意見、両方があったのは興味深かったです。
その両方の気持ちが釣り合って初めて友情が成立する事を考えると、難易度が上がるのも頷けます。わたし個人としては異性間の友情、成立するのは難しいとしても、してほしいですね~。
アンケートご協力ありがとうございました!

カラオケで見かけた下克上

こんばんは♪なつめです。 先日職場の二次会でカラオケに行きました。皆さんもこんな光景目にした事ありませんか?

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穏やかで真面目な仕事ぶりのAさん。「地味」「いけてない」と女性陣からの評判は散々でしたが、歌い出すとその態度は一変。普段の何言ってるか聞き取れないボソボソした喋り方からは想像のつかない、よく通る素敵な歌声に女性陣はAさんを取り囲み、モテ期状態に突入しました。

 

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一方、ジャニーズ系の容姿で人気のイケメンBくん。その歌声に期待が高まる中、歌いだしたら、まさかの超絶音痴。その場に何とも言えない空気が漂います。いつもはBくんをチヤホヤしている女性陣も苦笑いで遠巻きにしているんですよね。

この極端な二つの例を観察して、幾つかの疑問が湧きました。 歌の上手い、下手がここまで露骨に評価に影響したのはなぜだろう。 「音痴」だという事を、本人に気付かせまいとする動き、それを指摘する事への強いタブー感を感じたのですが、これは一体? 今回、この点について考察してみました。

歌が上手いと印象UP??

付加価値によって人の評価が上がるという事は日常生活でよくある事だと思います。 例えば、「地味でイケてない」という第一印象だった男性が、青年実業家ですごくお金持ちだと言うことが分かった際、その人の評価が急上昇することがあります。 この場合、この人と居れば自分に金銭的なメリットがありそうだと思って評価を上げる人も勿論居るとは思いますが、そういう人ばかりではないと思うんですよね。仕事で成功しているその人の実力や度量というプラスの知識を重ねて見る事で、その人が堂々として見えたり、素敵に見えたりする事はあると思います。これはわざわざ観察に基づいて結論するものではなく、もっと本能的な感覚だと思います。 では歌が上手い事がなぜプラスの評価に繋がるのか。だって、お金持ちの場合と違って、歌が上手くても普段の生活で得する事ってほとんどありませんよね?不思議です。

音痴って言っちゃダメ??

そして、もう一つ疑問に思った点「音痴を指摘する事へのタブー感」についてです。そりゃ下手な事をわざわざ相手に指摘する訳ないでしょ。悪口になっちゃうじゃん……と思うかもしれませんが、それだけではない強い拘束力を感じたんですよね。 先輩Cさんは、暇さえあれば人をいじってきて「料理が出来ない」「パソコンが苦手」「足が遅い」そんな事をしつこく笑いの種にしてくるうざいヤツなのですが、この「音痴」に関してはいじるどころか、むしろB君をフォローするような発言をしていたのが印象的でした。そこには、「料理やパソコンが苦手」というのと「音痴」を、同じ不得手と一括りに出来ない絶対的な差がありました。 「人の外見をバカにしてはいけない」という倫理観って大体の人が持っているじゃないですか。それに近い種類の、「音痴だと指摘する事へのタブー感」を感じたんですよね。 先ほど言ったように、歌が下手でも日常生活で困ることってそうないと思います。それなのに、音痴である事は「触れてはいけない重大な欠点」のような空気が漂っているのなんでなんでしょう。不思議です。

本能で感じる異性的魅力

ここからは私の仮説です。説明がつかない以上、この感覚ってもっと本能的なもの、動物的なものなのではないかと考えました。 動物のメスがオスに魅力を感じるポイントの一つが容姿の美しさですよね。色とりどりの羽で着飾ったオス鳥はモテます!美しさの基準は違いますが、そりゃぁ人間もイケメンの方がモテます! そしてもう一つのポイントが美しい鳴き声。鳥も昆虫も声で相手を魅了しようと歌います。人間にも本能的に、この「美しい歌声=異性として魅力的」という感覚が残っているのではないでしょうか。 そう考えると、「ブサイク」「音痴」と指摘する事は「=あなたは異性として魅力がない」と指摘する事になる。それは動物界では最大級のディスりになるので、本能的にタブー視し、指摘するのを避けるような言動をとってしまうのではないかと考えました。 そう考えると、歌声一つで目の色変えてた彼女達の反応もなんとなく説明がつく気がするんですよね(笑)この点はもう少し観察を続けて行こうと思います。

さいごに

もちろん、人間は理性を備えた生き物なので、単純に「ウタウマイ、ワタシアナタスキ」とならないのは分かっていますし、歌うこと=求愛行動説を提唱している訳ではありません。(歌うの大好きなので言っとかないと!) カラオケは、某Tさんのように異性ウケとか気にせず、好きな曲をノリノリで歌うのがストレス発散になって楽しいんですよね♪

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今回は身近な事例から、女性目線で話を勧めましたが、果たして男性はどうなんでしょうか?女性の歌が上手い事で急に評価が上がることってあるの? この辺りはまだ研究材料が足りないのでご意見聞かせてもらえたら嬉しいです。

歌唱力ってセンシティブな要素ですよねー。自虐としてもイジリとしても扱いにくいから、その話題そのものを避けてしまうこともあります。より性的魅力に直結するような「貧乳」とかは、割と自虐にもイジリにも使える風潮があると思うんですけど、それは何でだろう。まだまだ考察する余地のあるテーマですね。
余談ですが、何ですかね最後の鬼気迫るイラストは…。

学歴コンプレックスに見る序列への盲従

トフィーです。学歴コンプレックスが起きる原因を解体しつつ、コンプレックス全般について言及してみました。コンプレックスについて考えれば考えるほど、「コンプレックスとはアイデンティティを形成する1つの要素なのかもしれない…」と考え込んでしまいました。

学歴コンプレックスのエピソード

過去の上司は、自分より高学歴な部下を顎で使い、「◯◯大のくせに使えねぇ〜www」と吹聴するのが好きな人でした。わかりやすい学歴コンプレックスの持ち主でした。

反対に、こんな例もあります。
誰もが知ってる一流企業の課長さんが、定年前に会社を辞めてしまいました。
その理由は、「私は旧帝大を出ています。しかし、この春の辞令で、××大(中堅大学)の人が上司になることになりました。許せません」だった、と…。
超高学歴でも学歴コンプレックスを持ってしまうケースですね。

このように、大学を卒業して何年〜何十年経っても、学歴に固執する人達がいます。

学歴コンプレックスが生まれる背景

学歴コンプレックスが生まれる背景は、以下だと考えています。
①国内の大学の偏差値に基づく序列が固定的
②①のために、(ごく一部の)能力を評価する指標としてとてもわかりやすい
③②のために、他人と比較して「優秀」「バカ」のようなレッテルを貼りやすい
④③により他人との比較で優越感や劣等感を抱き、何かトリガーとなる出来事があると、その優越感・劣等感が非合理的な文脈の中で登場する=コンプレックス
例:
・◯◯大学卒業のくせに使えない(←仕事の出来と学力は必ずしも一致しないにも関わらず、「一致する」という前提で語る)
・自分より低学歴が先に出世したから許せない(←出世の評価は学歴ではなく仕事の出来で評価されるのに、学歴を持ち出す)

他のコンプレックスとの比較

世の中には様々なコンプレックスがありますが、学歴コンプレックスは他のコンプレックスと比較して、根深いように思います。

例えば外見や容貌のコンプレックスは、他人からは「気にしすぎ」の一言で一蹴されるようなこともあります。他人から見たら、「どうしてそこまで天パよりストレートにこだわるのか、わからない」と本気で思われていることだってあるわけです。人によってはストレートよりも天パのように動きのある髪型の方が好き、という人だっています。その人の価値観によって、序列が全く異なるのです。

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しかし学歴に関しては、偏差値により、序列が固定化されています。これは個人の価値観ではなく、社会の仕組みによる序列化であり、基準であるため、「まぁ確かに◯◯大学の方が(偏差値が)上だよね」という主張の合理性が担保されてしまうのです。そのために、コンプレックスはますます強化されてしまう、という根深さがあります。

他にもわかりやすいのは年収コンプレックスでしょうか。数値という絶対基準があるので、序列化しやすいです。しかし年収に関しては、「そういう稼ぎ方はしたくない」「今の仕事が好き」のように、自分の価値観を挟む余地もあるので、学歴ほどシンプルかつ根深いコンプレックスにはなりにくいです。

学歴に関しては、社会的な絶対基準に加え、自分の価値観を挟む余地が少ないのだと思います。「どうしてもこの学問をやりたかった」「いや、偏差値が上の◯◯大学にも同じ学科あるじゃん」といった具合になりやすいし、「◯◯教授のゼミにどうしても入りたかった」というような志で大学受験する高校生なんて少数派でしょう。

結果、学歴コンプレックスはシンプルかつ根深いものになります。

学歴コンプレックスに陥る人と陥らない人

もちろん、学歴に対して何の思い入れもない人だっているわけです。というか世の中の大多数がそうです。多少思うところはあったとしても、わかりやすく言動や行動に現れるのは少数派です。
日本人の全員が全員、学歴コンプレックスでない以上、「社会の仕組み」だけが学歴コンプレックスを根深いものにする…という論調は、少々乱暴でしょう。

他にも原因があるのです。それは他のコンプレックス同様、本人の性格や経験といった、属人的な要素なのだと思います。その属人的な要素に、社会の仕組みが絡み合って、学歴コンプレックスの根深さに繋がっているのではないでしょうか。

その序列は何に基づくものなのか?

学歴コンプレックスの序列は、偏差値がベースになっています。天パがコンプレックスな人は、ストレート>天パ、という序列が自分の中にあるからだし、年収なら高年収>低年収、という序列が自分の中にあるわけです。

では、その序列は、本当にあなたが決めたものですか?
あなたの人生経験の中で、他人が決めた序列に、無抵抗に従った結果ではありませんか?

少々挑発的な問いかけで、今回の記事は締めたいと思います。

余談:自分のコンプレックス

ここまで色々語りましたが、「じゃあ私はどうなんだろう?」と内省すると、私の中にもコンプレックスがあります。
それは、ライフイベントの多様性に対するコンプレックスです。
要は、面白くて珍しい経験をいっぱいしている人に対する憧れと嫉妬です。例えば最近だと、日下慶太さん。

電通と組んだ攻めすぎ広告で話題の近畿大学。「でも授業がショボけりゃ意味がない!」と調査をした結果… | Kindai Picks

学生時代はバックパックで旅するのが好きで、ロシアでスパイ容疑で軟禁されて尋問されたり、アフガニスタンタリバンと自転車を二人乗りしたり。そんな生活からいきなり、電通に入社。資本主義のド真ん中で働きはじめました。そして、鬱になってしまったんです。(中略)
僕、そのせいでロシアにはたぶんもう、入国出来ないんですよ。

こういうのを読むと、笑っちゃうと同時に、自分の行動力はまだまだだな、とか、私にはこういう生き方できないな、とか、思っちゃうわけです。

他にも、海外出張が決まったーとか、ブログのお仕事きたーとか、「ライフイベントの変化が多く、それにより新しい経験ができる人」に対するコンプレックスがあります。

自分もそうありたい、なのにこんなに面白い経験はできていない…かと言ってロシアでスパイ容疑かけられるような行動を起こす勇気はない(笑)

きっと、私と同じコンプレックスを持っていない人からしたら、「何でそんなことにコンプレックスを感じるのかわからない」となるのでしょう。普通に考えたら、ロシアでスパイ容疑かけられることとか、羨む要素ないですからね。非合理的な羨望だと、我ながら思います。だけど、私が寝転がってダラダラしている間に、世の中の人はもっと面白い経験をしていて、そしてそれは人生のどこかで活きる糧になるのだと思うと、羨ましくて妬ましくて仕方ないのです。

きっと、私の人生のどこかで、「多様な経験>平凡な経験」という強烈な序列付けがなされたのでしょう。思い当たる記憶として、中学時代にスピーチ大会に出ることが決まった時に、スピーチで有利になるような、わかりやすく非凡な経験を持っていないことが死ぬほど悔しかった…ということがありました。冷静に考えれば、その「経験の多様性」も、スピーチ大会主催者が求めるものであって、私が求めていたわけではないのです。

このときの経験が、今にも根付いて私のコンプレックスとなり、やたら新しいことにチャレンジしたがる気質に繋がっているのかもしれませんね。

学歴コンプレックス、よく見かけますねー。
数値化、序列化しやすい分野においては確かに優劣がつけやすく、学歴が評価の物差しとして使用される機会の多かった人ほどコンプレックスを抱きやすくなりそう。
低学歴の場合だけでなく、高学歴の人がコンプレックスを抱いているの不思議に思っていたんですが、有名大学であればあるほど周囲からそこばかりがクローズアップされる事も、一因となっているのかもしれませんね。
最後に!これはどうしても言わせてほしいのですが、天パコンプレックスにおいては、見た目の問題だけでなく、自分の過ごしやすさや他の物理的な問題などが関わってくるので、天パよりもストレートが優れていると序列している訳ではなくてですね、……あと30分くらい語れそうですが、誰も聞いていないのでこのくらいにしておきます……。

 

守り神

「ぎゃー!!」
私のシルエットを認め、あの子が甲高い叫び声をあげた。
窓ガラス一枚を隔てて、実際に姿は見えなかったが、その真ん丸に見開かれた目、驚いた時や怖い時に寄る鼻の皺の形は、まだ鮮明に思い浮かべる事ができる。その顔を私はよく知っている。

生前に良い行いをすれば、花の咲き乱れる綿菓子のような場所で楽しく過ごせると思っていたが、どうやらそれは生きている人間の勝手な願望だったようだ。わたしはまだこうしてここに居るのだから。

それが良い事なのか、悪い事なのかは分からない。しかし、「神様」と生きていた時に呼んでいた存在が、 こう問いかけてくれた事は私にとって救いであった。
「さあ、次は何になりたい?」

私は少し考えてから返事をした。
それを聞いて驚いて顔を上げた様子を見ると、神様は人の考えなどお見通しなのかと思ったらそうでもないらしい。

「なぜ。もっと理知あるものを望む者達は大勢居るのに」
「今から人に生まれていては、あの子にとても追いつけません」
私が答えると、一度はなるほどという顔をした神様だが、それでも尚食い下がる。
「ではなぜ。あの子の最も嫌いな生き物を選ぶ。他の生き物になって共に歩むという選択肢もあるだろうに」
「どこの世界に飼い主の世話を焼くペットがありましょう。それにこの姿であれば、あの子がどんな高い場所へ住んだとしてもそっと見守る事が出来ます」

私がそう答えると、神様は私の目の奥をじっと窺った。
「よろしい。望みどおりにしよう」
そう言ってにっこり微笑んで、キーボードを叩く。全知全能の神様はその完全な記憶力で全ての人間の行く末を覚えているのかと思ったら、どうやらこちらの世界でもコンピューターでの管理が進んでいるらしい。
こうしてわたしは望みの姿に形を変えた。

しばらくしてあの子は一人暮らしを始めた。新居はアパートの2階だったが、この吸盤によく似た、ひだを持つ四つの足をもってすればなんて事はない。今日も窓ガラスに張り付いてあの子を見守る。

突然の雨が振り出せば、ケロケロと蛙の鳴き真似をして知らせる。おかげで、何とか洗濯物を濡らさずに済んだようだ。
連日の深酒が過ぎる時には、出かけようとするあの子の前をすっと横切ってみせる。おかげで、今日は近くの焼き鳥屋に飲みに行くのをやめたようだ。

誤算だったのは、そのせいであの子を眠れないほど怖がらせてしまった事である。本当は隠れて見守るつもりだったのに、心配のあまりつい過保護になってしまうは昔から私の悪い癖だ。
肩を竦めて(と言っても私にはもう竦める事の出来る肩が無いのだが)反省した私は、今日のところは自分の寝床へと退散する。
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「家を守る」などと大層な名前をつけたのは、どうやら生きている人間の勝手な願望だったようだ。
わたしは家ではなく、今日もあの子を守っている。

 

なつめです。
この話は、トフィーさんが連日「“アレ”嫌い」ツイートをしていた時期に、トフィーさんにホッコリしてもらって、少しでも“アレ”を好きになって貰えたら……という思いで書きました。なのに、当の本人は……「これは笑うwwwwww」
私としてはあれ?あれ?なんで?ホッコリは?感動は?って感じなのです。
この話は本来ブログアップ用ではなかったんですが、トフィーさんとこの話をしていて、じゃあどっちの感覚が正しいのかみんなに見てもらおうじゃないの!となりまして。えぇ。
なので、今回はtwitterの方で積極的に感想求めていくウザいスタイルで行きますが、ご協力お願いします(笑)