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声をあげて泣く人だけが、人の死を悼んでいるとは限らない

なつめ 体験談 感情 家族

人生の中で出来れば経験したくないのが、愛する人の死。でも同時に避けて通れないものでもありますよね。ちょっと重めのテーマですが、難しい内容ではないので、みんなにも考えてほしいです!

わたしは職業柄、人の最期に立ち会う機会が普通の人より多いのではないかと思います。ここ最近は、年に10人から20人の方の看取りに関わってきました。
人の最期にもいろいろあって、若くして事故で、とか、病気で志半ばで、というのではまた状況が異なってくるので、今回は老衰による最期という状況にしぼって話をしようと思います。

泣かない人は冷たい人なのか

様々なケースに関わってきましたが、臨終の際の家族、親族の反応は様々です。
声をあげて泣き叫ぶ人もいれば、穏やかで、時にはいつもと変わらぬ様子で談笑している方もいます。兄弟の間でさえ、極端に反応が分かれる場合もあります。
その時に、こんな言葉を耳にした事があります。

「親が死んだっていうのに、泣きもしないで冷たい人ね」

この言葉、分かります。
自分が辛くて悲しくて「お母さん!」と泣き叫んでるのに、ふと隣りを見ると自分の兄弟はいつもの調子で飄々としている。
この人は母が死んでも何ともないのか……?
そう感じるのも無理はないと思います。

でも、経験を重ねる中で、その言葉への違和感がどんどん大きくなっていくのを感じてもいました。

愛する家族を亡くしても泣かない人は、本当に冷たい人なのでしょうか?

 実は、今わたしの頭のなかに思い浮かんだ、たくさんの「泣かなかった家族」。 その多くは、「冷たい人」というイメージとは真逆な方達です。
例えば、持病があるのに、長い間自宅でお母さんを介護してきた方。
毎日仕事帰り、面会時間ぎりぎりに駆け込んで来る息子さん。
意識のない父親の手を握って、いつもにこにこと話しかけている娘さん。
言葉で言い表すのは難しいのですが、その接し方から親御さんへの溢れる愛情が伝わってくるような方達でした。 そういう方達に限って泣かないケースが多いのです。
わたしにはどうしても,その方達が「冷たい人たち」だとは思えないのです。

そもそも人はなぜ死に面して泣くのでしょうか。
故人と永遠に会えないという寂しさや、もっとこうしてあげたかったという後悔の気持ちもあるかもしれません。 故人の最期の苦しみや、その無念さを思って泣く人もあるでしょう。
泣かなかった人たちも多少の違いはあれ、同じような感情は抱いたはずです。
ではなにが違うのか。
様々な要素が関係するので、人の数だけ理由があって正解はないのでしょうが、わたしの中に一つの考えが浮かびました。

寂しさや後悔を超える、別の感情があったとしたら人は声をあげて泣かないのかもしれない。

わたしがそう考えるに至ったのには、自分自身の過去の経験も大きく関係していると思います。その事例をもとに、皆さんにも自由に考えてほしいです。

祖母との生活を通じて


 父方の祖母はいつも綺麗にパーマをあてて身だしなみを整え、背すじの伸びたおばあちゃんらしくないおばあちゃんだった。
孫達が大胆な遊び方をしていると「おぞい(怖い)わぁ〜」と止めることはあっても、祖母に怒られた記憶は一度もない。
 その祖母が、祖父が亡くなったのを機にみるみるうちに弱っていってしまった。 それでも頭はしっかりしていて、頑としてこの山奥の、祖父との思い出の詰まった自宅を離れようとしない。
自分の家に母親を招き入れようとしていた息子達も、その頑なさに遂には説得を諦めた。

 父は三男だったが、兄弟の中でもとりわけ両親に対する愛情が強い人だったと思う。 仕事を辞めて実家に帰ると言い出した。家のローンもまだ払い終えていないのに。
色々話し合った末、代わりにわたしと母が一ヶ月交代で田舎に帰り、祖母の介護をする事になった。

 最初の一ヶ月はわたしの番だった。 田舎に帰って愕然とした。
そこにはあの優しかった祖母はいなかった。
覚えのない事で受ける非難。
家事の仕方一つをとっても気に入らないらしく、逐一嫌味を言われる。
わたしの作った料理には全く箸をつけようともせず、その場で惣菜を買ってこさせられる。
一度わたしが作った鯵の南蛮漬けを白いパックに入れ、綺麗にラップをかけておいたら、祖母は「美味しい美味しい」と食べていたっけ。
とにかく何か理由を探しては、いや理由がなくとも、チクチクと怒られていた。祖母の目がギラギラと真っ赤に光っているように見えて怖かった。

 一応自分の部屋らしきものはあったが、本当の意味で自由な時間はなかったように思う。
「なつめさーん」 祖母が呼ぶとすぐに降りていかないといけないので、常に神経は張りつめていた。 遂には祖母が階下から呼ぶ幻聴が聞こえるようになった。

 唯一ほっと一息つけるのは風呂の中だけだった。 浴槽に深く沈みこむと、安心するのと同時にあとからあとから涙がこぼれてきた。
何が悲しいのかは分からない。自分を哀れんでいたのだろうか。
わたしは声を出さずに、静かに泣くことを覚えた。
風呂から出ると、「風呂が長い」文句を言われたが、唯一自分に泣くことを許したその時間は、ますます長くなる一方だった。

 祖母が寝静まってからは毎日家を抜け出した。
遊び歩くためにではない。街灯もない真っ暗な道をただひたすら散歩しては、祖母がトイレに起きる時間までには帰った。
暗闇よりも、家の中で呼吸出来なくなる事の方が怖かった。

 そんなある日、週末に父がやって来ることになった。 息が詰まるような祖母との生活から少しは解放されるのではと、わたしは喜んだ。
しかしそう簡単な話ではなかった。
「やっぱりみっちゃんが居ないと」
可愛い息子の名前をちゃん付けで甘えたように呼ぶ祖母。
普段は嫌々でもわたしに頼らないと生活できない祖母だが、父が来るとわたしは用無しとばかりにますます辛くあたられる。
祖母は父が来るのをあてにして、広告の裏に,父が来たら頼むことリストを書き上げるようになった。わたしにも出来るような簡単な用事ですらリストに挙がった。
負担が減った、と喜べれば良かったのだろうが、わたしはただただ悲しかった。
普段おばあちゃんをトイレに行かせて、お風呂に入れて、家事をしているのはわたしなのに。 文句こそ言われても感謝など一度もされた事はないのに。
父はタイミングよく数日間だけ現れてこんなにも頼りにされ、感謝されるのか。
バカバカしい事だが、正直に認めれば父に嫉妬していたのだと思う。
 ある時、 「また来るから」 そう言った父に、
「お父さんもう来ないで。お父さんが来ると余計辛い」
そう言って泣いたわたしは親不孝でもあり、祖母不幸でもあったろう。
でも二十歳そこそこの子供だったわたしは、ただただ一生懸命だったのだ。

 そんな生活が続き、祖母はほぼ寝たきりの状態になっていた。
それでもプライドが許さない様子で、オシメにする事を頑なに拒んだ。わたしの手を借りながら何とかトイレへ行っていた。
 ある日わたしが数十分家を空けた事があった。短い時間だから大丈夫だろうと思ったが、帰ると祖母はトイレに居た。
間に合わず自分で処理しようとしたが上手く行えず、トイレの床や壁が汚れていた。
わたしは手早く祖母の下着を変え、祖母を寝かせてからトイレを掃除した。
祖母の様子を見に部屋に戻ると、祖母が無言でわたしの手に何かを握らせてくる。
掌を開くと、それはクシャクシャになった千円札だった。
「ごめんね。汚いことさせて」

ハッとして顔を上げると、祖母が泣き出しそうな子供のような顔で見ていた。

胸が熱くなった。 そして気付いた。
自分が祖母の言動ばかりを見て、祖母の気持ちを考えようとしたことがなかったことに。

今までほとんどの面で頼っていた、最愛の連れ合いに先立たれた喪失感。
自分の仕事だと思っていた料理を作る事さえままならないもどかしさ。
自分の身体がどんどん思うように動かせなくなっていく事への不安や恐怖。
トイレや風呂に入るのにも人の世話にならないといけない申し訳なさや情けなさ。
そんなごちゃごちゃの感情を消化しきれず、孫にあたる事しか出来なかった祖母。
祖母の瞳を見ているとそんな様々な感情がいっきにわたしの中に入ってきた。

そして思った。
「生きることって、時々、死ぬことよりも辛いのかもしれない」と。

小娘が何を分かったような事を、と思われるかもしれないがその時確かに祖母の気持ちの一部を感じていたように思う。その千円札は結局受け取らなかった。とても受け取れなかった。 でも今なら思う。貰っておけば少しは祖母の自尊心を守れたかもしれない、と。

 結局祖母は一年後に亡くなった。
今思えばあっという間なのだが、もっとずっと長く濃密な時間に思えた。
祖母にもう会えないと思うと寂しかった。でもそれと同時にほっとした。
もう介護しなくてよいからではない。 祖母を一番近くで見ていて、生きる事の辛さを知ったからだ。
みんなが声を出して泣いていた。 わたしはそれをぼんやりと眺めていた。
祖母の顔は眠るように穏やかだった。
おばあちゃんもう苦しまなくていいんだね。
涙が一滴だけ静かに流れた。わたしは静かに泣くことが得意になっていた。

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最後に

誤解しないでほしいのは、「泣かない人」の方が故人との関わりが深かったとか、本当は誰より悲しんでいるとか、そういう事が言いたい訳ではないのです。
その人の悲しみはその人の中にしかない。 そして、その悲しみの表れ方も人それぞれなのだ、と私は思います。
そばで看てきた人には、その人の悲しみが、そして、事情があってそばで看ることができなかった人にも、その人の悲しみがあるのです。
例え同じような経験や関わり方をしてきたとしても、一つとして同じ悲しみの形はない。 だから、悲しみの形が違うという理由で、人を責める権利は誰にもないし、 それぞれが、それぞれの悲しみと向き合っていけば良いのだと思います。

そして最後にどうしても言いたいのは、悲しみの形が違うという理由で、自分を責める事もしないでほしい、という事です。
人の死に面して泣かなかった時、泣けなかった時に、 「自分は冷たい人間なんじゃないか」という考えが浮かぶ人は少なくないと思います。
泣かない自分を責めてくる相手は、実は他人よりも、自分であることが非常に多いのです。
でも、声をあげて泣かなかったあなたは悲しんでいない訳ではないし、決して冷たい人などではないと思います。
あなたの中に確かにある、悲しみの形は、あなたにしか分からないのですから、愛する人を亡くしたばかりの自分をあまりいじめないでください。

分かったような事を書きましたが、もちろん私にもあなたの悲しみの形は分かりません。
でもそんなわたしにも出来ることがあると思っています。
仕事を通じて関わる方達のために、ご本人へのケアは勿論のこと、ご家族の余分な負担を取り除いて、その悲しみとちゃんと向き合えるようお手伝いする事。 涙脆い私ですが、ご本人とご家族の前では泣かないと決めています。
その時が来た時に、悲しむべき人がちゃんと悲しめるように、そのためには他人のわたしは泣いてはいけないのだと思っています。 (ときどき失敗しますけどw)
人の死と向き合うことで、なんとも言えない喪失感や、自分の無力感を毎回感じるのは正直辛いですが、わたしも自分の悲しみの形に向き合って、家族じゃないからこそ出来ることをしていきたいと思っています。

皆さんもその時が来る前に、自分の悲しみの形を見つめてみてはいかがでしょうか?

最期まで看取ることの壮絶さ…言葉にできませんでした…。
私はまだ家族のような身近な人が亡くなった経験がないのですが、避けて通れない出来事なのだと、少しずつ実感しています。その時に悔いのない向き合い方をしたいと、なつめさんの記事を読んで強く思っています。

  【次回予告】1月18日(水)
なつめによる小ネタ更新♪お楽しみに!

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