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読み終わったら、あなたも、きっと……。

なつめです。これは私の職場で本当に起こった出来事です。

2017年4月。
恐ろしい伝染病が、局地的に大流行していた。
その恐ろしさの所以は、なんといっても強力な感染力であろう。手洗いやマスクなどの予防は全く効果がない。保菌者に触れずとも感染し、その感染スピードたるや目を見張るものがある。

最初の発症者は後藤だった。連日の残業のせいで免疫力が低下し、また忙しさにかまけて健康管理を怠っていたのが良くなかった。
思い返すと、出社してきた時から様子がおかしかった。挨拶をしても、
「おはよーっすー」
という、いつもの陽気な声が返ってこない。
なつめが不思議に思って後藤を見ると、虚ろな瞳でパソコンの画面を見つめながら、何やらボソボソと呟いている。
気味が悪いなとは思ったが、
「ちょっと来て」
同僚に呼ばれ、その違和感はすぐに忘れ去ってしまった。

なつめが用事を済ませ事務所へ戻ると、後藤は先程と同じ姿勢のままパソコンへ向かっていた。しかし、先程とは明らかに違う点があった。 呟きが言葉となり、ところどころ聞こえる大きさになっている。なつめは思わず耳をそばだてた。すると、途切れ途切れにこんな言葉が聞こえて来た。

「……えを……いて……あ……こおお…………だが………ぼれ……よお…に」

或いはこれが単なる言葉であったのなら、まだ自分の身を守る事も出来たのかもしれない。いや、仮定の話をしても仕方がないのでやめよう。事実、それは単なる言葉ではなく、一つの旋律を伴っていたのだから。
最初は遠慮がちに現れていた症状が、みるみるうちに重症化していく。もはや後藤の声は、注意して聞かなくてもはっきりと聞き取れる程の大きさになっていた。

「うーえをむういてーあーるこおおおーなあみーだがーこおぼれーなーいよおおにー」

いけない!何が起こったかを悟った瞬間、なつめは足早にその場を立ち去った。
しかし時すでに遅し。聞こえるはずのない後藤の声が繰り返し繰り返し、脳内を駆け巡る。
なつめは自分の身体が既に蝕まれている事を悟った。そして思った。まだ理性が保たれているうちに、発症する前に、なんとか感染拡大を防がねば!と。

できるだけ人のいない所へ、できるだけ早く。悟られないようにと早歩きで、デスクの間をすり抜ける。思わず出そうになった言葉を飲み込み、口もとを抑え、遂には小走りになったなつめの姿を、驚いた表情で同僚たちが見ていた。

遂に扉に辿り着いたなつめは、誰も居ない廊下へ転がるように飛び出した。いつの間にか呼吸を止めていた事に気づき、息を大きく吐き出すと、ようやくその顔に安堵の色が滲んだ。
やった。被害を最小限に留める事が出来た。そう、ここで絶対に食い止めなければ。やつらの思い通りにさせてなるものか。

鼓動がいつもより早いのは、気持ちの高ぶりのせいなのか、それとも先程の小走りのせいなのか。そして、再び歩き出した自分の足が、一体どこに向かっているのか、なつめ自身にも分かっていなかったが、その足取りは軽やかだった。
そしておもむろに、留める理由のなくなった言葉を吐き出した瞬間、言いようのない開放感がなつめを包む。

「上を向いて、歩こうよ。涙が零れないように」
その歌声は誰もいない廊下に響きわたっていく。こうしてなつめの機転により世界は救われた。

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しかし、一つだけ誤算があった。
それはなつめの歌声があまりにも大きかった事である。
廊下と事務所を隔てる重厚な扉をすり抜け、そのメロディーは直接同僚たちの脳に働きかける。

しばらくして、
「上を向いて……歩こうよ……」
虚ろな目をして口ずさみ始める面々。

上を向いて歩こう病」
感染率100パーセントの恐ろしい病の誕生である。
あなたも鼻歌を歌う時には必ず、周囲に人が居ないことを確認してほしい。脳内リフレインが止まらないの辛いよ……。

次回予告
4月16日(日)はトフィーの「ヨッピー主催の「サイバーエージェントの金で飲む会」に潜入してきた」をお送りします。

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