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人に甘えるということ

トフィーです。甘えと寂しさ・辛さについて語ります。

この前、久々に会った女友達に、最近の恋愛状況はいかがか、と聞かれました。

実は私が急速に干物化したのは、ここ数年ほど。私の干物化を知らない女友達だったので、相当驚かせてしまいました。

私「恋愛的な話題は全然ないね。ってか恋愛したくないんだわ」
友「え!?じゃあ、もしトフィー好みの仕事のできるイケメンにご飯とか誘われたら!?」
私「それは行くけど、恋愛目的じゃなくて、仕事の話を目的に行くね」
友「マジかぁ…誰かに甘えたい、とかないの?」
私「(甘えたい…???)うーん、無いね」

甘えたい…そんな感情は見事に死滅していて、私の内側から全く湧いてこなくなりました。過去の私には、そういうところもあったのですけどね。

甘える、って何なのでしょう。自分の寂しさや辛さに共感してもらい、身を寄り添い合うことなのでしょうか。
しかし、過去、とにかく甘えたかった頃、私はそのせいで多くの友人を傷つけ、失いました。

自分の寂しさ・辛さは、簡単に誰かに預けてはいけないのだと、今は思っています。寂しさ・辛さって、その人の存在の根深いところに通じやすいのです。寂しさ・辛さという、表面的な感情に共感してもらうだけのつもりが、いつの間にか自分の存在そのものを相手に預けてしまう…その状態はあまりにも危険だし、幸せとは言えないと思います。過去の自分含め、こういう罠に陥っている人を、結構見かけます。

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「寂しい時、辛い時は話していいんだよ」
こんな優しい言葉をかけたり、かけられたりすることがあると思います。現代は弱音に寛容な社会になってると思います。
ですが、もしこういう言葉をかけるとき、「話は聞くけど、相手の根深いところまで引っ張られないようにするぞ」とわかっていなければ、共依存まっしぐらです。
また、こういう言葉をかけられたとき、「あくまで相手は話を聞いてくれるだけ、問題を解決するのは自分だ」とわかっているべきだとも思います。

むしろ、寂しさ・辛さを、誰かと分かち合えないことが、一人の人間として独立した存在であることの証であって、それは喜ぶべきことなのかもしれません。

我ながら極端なことを言っていると思います。ですが、他人との心の境界線が曖昧になって共依存状態になるくらいなら、孤独を抱えつつも独立した個人でありたいのです。

と、言いながら、最近めちゃくちゃ甘えさせてもらったのですが。
この数週間、私事も仕事も大変な状況で、ブログに関する活動に時間が取れずにいました。そんな私の状況を察して、なつめさんが頑張ってくれました。なつめさんも相当負担だったと思います。それでも文句1つ言わずに助けてくれたこと、本当に感謝しています。
いつも互いの苦手分野は頼ることで成り立っているブログですが、今回の場合は、一方的に私が甘えさせてもらっているな、と思います。

甘えてる自分が好きになれないなぁと思いつつ、でもやっぱり甘えさせてくれる人の存在に救われるものです。

なつめさんには、ちゃんと恩返しして、チャラにしたいと思っています(笑)

次回予告
4月30日(日)はトフィーの個人記事です。

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