読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自分の誕生日が好きになれなかった私の話

心無いことを言う人たちが世の中にはたくさんいる。
例えば、わたしの誕生日を知ったある大人はこう言った。
「祝日だし、医療費高かっただろうね」 冗談なのだと思いたいが、
「親不孝だね」
とも言われた。 冗談にしては面白くなかったが、その人が笑っていたので、わたしも笑った。

わたしの誕生日は1月1日だ。

まるきり本気にした訳ではない。
それでも、その言葉は喉に引っかかった魚の小骨のように、小さな痛みと少しの罪悪感を連れてきた。

大人になってからも、その言葉は時々浮かんでは消えた。
成長と共に、言われた言葉だけが残り、変な痛みや罪悪感は消えていった。

 

ある日、父の晩酌に付き合いながら何の気なしに言ってみた。
「元旦は出産費用が高いから、親不孝者だって何人かに言われた事あるよ」
別に面白くはなかったが、わたしは笑いながら言った。

父はそれを聞いても笑わなかった。
面白くない冗談だったかなとバツの悪い気持ちになり、それを隠すように酎ハイを飲むと、とうに無くなったはずの小骨がチクリと痛んだ気がした。

 

父は無口な方なので普段からあまり多くは話さない。その父がポツリポツリと話し始めた。

 本当はなつめが生まれるのは12月20日頃の予定だったんだ。
お母さんが入院している間、お姉ちゃんの面倒を見るために、仕事の休みをとらないといけない。でも、年末は仕事がたくさんあるから同僚に迷惑をかけることになる。
どうしようかと思っていたら、ちゃんとなつめは、お父さんの休みの日を待って生まれてきてくれたんだよ。
不思議だけど、なつめの妹もそうだった。うちの子たちはみんな親孝行ないい子たちだよ。

 

別に面白い話ではなかったけれど、父はそう言って笑った。
それを聞いてわたしは悲しくもないのに泣いた。

f:id:himojo_zemi:20170502233448j:image

1月1日。
冬休み真っ只中なので、友達に祝ってもらったことはほとんどない。
この小さなイベントは世間の大きなお祭りにかき消され、忘れ去られていく。
年賀状のあけましておめでとうのついでに、申し訳なさそうに添えられた「ハッピーバースデー」にももう慣れた。

それでもわたしは自分の誕生日が好きだ。
「他の日なら誕生日特典たくさん使えただろうなあ」 時々愚痴る事もあるけど、やっぱりこの日に生まれて良かったと今は思っている。

だから
「誕生日いつ?」
その質問に答える時は、褒められた子供のようにいつも少し誇らしい気持ちで答える。

「1月1日だよ!」

なつめです。色々な家庭があるのは承知の上で、全ての人が自分の誕生日を好きだと思えて、その日が親に感謝できる日であったらいいなと思います。
時期外れなのは、プレゼントの催促ネタだと思われないためです(笑)

【次回予告】5月7日(日)「上から目線で見下したくなる人間心理」対談形式でお届けします♪

広告を非表示にする