「不謹慎」「自粛」~誰のためのもの?~

なつめです。東日本大震災から6年。熊本大地震から、1年が経過しました。この機会に、以前から違和感を持っていた「不謹慎」「自粛」という言葉について、自分なりに考えてみました。

大きな災害や痛ましい事件が起きた直後には、必ずと言っていいほど「不謹慎」という言葉を耳にします。
例えば・・・

①笑顔の写真をSNSに投稿した有名人がバッシングされる。
②被災地から離れた場所であっても「自粛」という名の元に、コンサートやイベントが軒並み中止になる。

これらは震災後に、実際に見られた状況です。
では、人はなぜ「不謹慎」と感じ、「自粛」するのでしょうか?

強い共感が感情を揺さぶる

一つの理由は、当事者への強い共感です。
共感力の高い人は、テレビなどで被災地の様子を見聞きするうちに、住む家や家族を失い、日々の食糧にも事欠く大変な状況を、自分の事のようにリアルに思い描き、とても楽しめるような心境ではなくなってしまうという訳です。
また、そのような状況の人がいる中で、自分だけ美味しいものを食べたり、楽しんだりする事に対する強い罪悪感が、楽しむ事=悪という発想を生み、「不謹慎」という言葉に繋がっていくのだと思います。

適度な共感は、苦しんでいる人の感情に寄り添い、その方の気持ちを癒す事にも繋がります。とても良い事だと思います。
しかし、共感も行きすぎると、自分の心を疲れ果てさせてしまうので注意が必要です。
共感疲労といって、直接的にその出来事を体験したわけでもないのに、擬似体験によってトラウマを抱え、強いストレス反応が起きてしまう事態にもなり得ます。

また、過剰な共感は他者への攻撃性に形を変える場合もあります。
自分が自粛するのにとどまらず、買い物をしたり、美味しいものを食べたり「普通の生活」を営んでいる人が許せなくなる。その人たちは人の痛みや悲しみを何とも思わないのか、と憎しみの気持ちが湧いてくる。そういう極端な感情の動きが「不謹慎」という言葉になって表れたのが①のパターンだと思います。

事なかれ自粛

自粛の中には、「やめておいた方が無難だろう」という種類のものも多くあると思います。
②のコンサートやイベントの中止のほとんどはこれにあたるでしょう。クレームを未然に防ぐための「事なかれ自粛」です。

イベントを決行した場合のメリット、デメリットを考えるのは企業としては当然の事。
もし予定通りに開催すれば、先程述べた、強い共感により攻撃的になっている人たちや、ここぞとばかりに集まってくるクレーマー気質の人たちからの非難は避けられません。その上、参加を見送る人も多く出て収益自体も予定通りとは行かないでしょう。企業イメージも悪くなる可能性があります。

また、個人としての「事なかれ自粛」も少なくありません。
美味しいものを食べたり、楽しんだりする事自体は悪くないと思うが、それを不快に思う人がいるから写真をSNSにアップするのは辞めておこう。さらには、トラブルやイメージダウンを避けるために、その行動自体を自粛する人もいます。

でも、ちょっと考えてみてください。
この「不謹慎」とか「自粛」って、本当に当事者たちのためのものなのでしょうか?

「不謹慎」「自粛」~誰のためのもの?~

例えばこんな状況を想像してみてください。
2人で山を歩いていて、あなたが崖から転落し大怪我を負ったとします。
一緒に歩いていた友人は、それを見て
「あなたが痛い思いをしているのに、私だけが自由に走れるなんて!そんな事許されない!」
そう叫ぶと、近くにあった木の枝を手に取り……

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いやいやいや、何すんじゃいっ!てそりゃなりますわ。
自分で傷つけて同じように歩けなくなった足で、折り重なって共に衰弱し、
「あなたの痛みはわたしの痛み」
いやいやいや、そんなこと望んでませんからっ!てなりますわ。
出来るなら、その足で助けを呼びに行ってほしいし、救助を待つ間その人が飲み水や食糧を調達してきてくれたなら本当に感謝すると思います。

わたしが不思議に思ったのは、「不謹慎」と声をあげている人たちは、往々にして被害の当事者ではないという点です。当事者からの声もあるにはあったのでしょうが、わたしの耳に届いたのは、言葉は悪いですが「部外者」からの声ばかりでした。
むしろ、被災した方々からの「自粛しないで」という言葉の方がたくさん聞こえてきたくらいです。
もしかしたら、山道で怪我をした人と同じように「一緒に衰弱しないでいいから、しっかり助け呼んできて!食糧運んできて!」っていう心境だったのかもしれません。

「自粛する事は被災地の人たちのためにならない。経済をガンガン回していかないと!」最近よく聞く意見です。
このイラストは非常に分かりやすくて納得できました。

 

ただ、この事を頭で分かったとしても、共感力の高い人は心が辛くてその考えについて行けないんだと思います。
誤解を恐れずに言えば、わたしはその人達はそのままでいい!と思っています。
それは、支援する側も、される側もみんなそれぞれに違った個性や必要を持つ人間だからです。
共感して感情に寄り添ってくれる人の存在に救われる人もきっといる。そして、変わらぬ日常を継続し、経済を活性化するという別の形での支援に救われる人たちもきっといる。そう思うんです。

だから、「共感し過ぎて辛いよ派」の人たちは、普通の生活を継続している人を「血も涙もない!この人でなし!」と感じたとしても、その人たちを不謹慎と非難したり、自粛を強要してはいけない。自分は自粛するけど、あの人たちはあの人たちで、別の形で復興に貢献しているんだなと認める。
反対に、「ガンガン経済回していこうぜ派」は、共感ゆえに自粛せざるを得ない人たちを不合理だと責めるのではなく、そういう人たちも居るのだということを認める。
それぞれがそれぞれに、自分に出来る方法で支援を行っていけたなら素晴らしいなと思います。

個人的には、自粛するよりもアクション起こす方が難しい、腰が重い性格(ツイッターで最近流行っているエムグラム診断で言われました)なので、もっと積極的な方向で助けになれるように自分を律して行きたいと思っています。

非常時における「共感し過ぎて辛いよ派」と「経済回していこうぜ派」、これ、平行線になりがちな話ですよね。それを両方認めて、互いに非難するのは無しにしよう、というなつめさんの意見、とても腑に落ちました。多種多様な支援の仕方があるし、多種多様と言い切れるだけの多くの人材がいて、様々な支援が可能である…ヒューマニズム的に言えば、その事実が既に素晴らしいことなのかもしれません。

【次回予告】5月17日(水)
なつめによる小ネタ更新です♪

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