結婚願望にまつわる偏見

トフィーです。結婚願望がないというツイートをしたら、たくさんいいねやRTされたので、案外需要あるのかも…と思って記事にしようと思います。

家庭の外への憧れ

何度も公言していますが、私には結婚願望がありません。
その代わり、社会で活躍したい欲求が強いのです。

記憶を遡ると、小学生くらいの頃でしょうか。有能な専業主婦だった母の姿を見て、「働いたらその能力で稼げそうなのに、もったいない」という、生意気なことを感じていたのです。
「私なら、働いて自分の能力を試すのに」
このような思いから、家庭に専念する女性像に、違和感を持つようになりました。

「家にいるより、外で働いている方が、ワクワクしそう」
「社会で活躍して認められたい」
「広い世界を見たい」

こんな欲求が大きくなるのと同時に、私の結婚願望は根付くスペースすらなくなっていくのでした。

社会人になってから

社会というのは大変な場所だ…というのが、今の心境です(笑)
現在、仕事上の壁にぶつかっていて、思い悩むことの多い毎日です。それを支えてくれたのは、なつめさんを始めとした友人達、そして家族でした。この時、社会人にとっての家庭の重要性を痛感しました。本当にメンタルの支えになりました。

ただ、だからと言って、自分で誰かと家庭を築きたいとは思えません。

もしも、今の私が誰かと家庭を築く選択をしたら、その動機は「自分のメンタルの支えとなる場所が欲しい」「逃げ場が欲しい」…そんな、後ろ向きなものです。そういった動機で、血の繋がっていない誰かを、私の人生に巻き込むようなことはしたくない。

そもそも、自由気ままを是とするこの性格で、他の誰かと人生の責任を分かち合うことに、たまらなく窮屈さを感じるのです。
私は恐らく、決断の多い人生を送ることになるでしょう。例えばですが、もしかしてまた転職するかもしれません。もしくはフリーランスとして独立するかもしれません。その決断のために、遠方に引っ越さなくてはならないかもしれない…となったとき、伴侶や子どもがいたら、それを理由に諦めてしまうかもしれない。諦めたら諦めたで、心のどこかで「独身だったら…」という思いは消えないだろうし、諦めなかったとして、伴侶や子どもに何らかの負担が行くのは避けられません。
私の決断については、私だけが責任と負担を負うべきだし、負いたいと思っています。

結婚願望がない人間から見た世間

我ながら変わり者だという自覚はあります。「結婚願望がない」と口走ることで、ネガティブに捉えられることを、何度も経験してきました。「結婚願望がある」人にとって、私のような存在は、どうやらかなり驚かしい存在のようです。
これには、むしろ私が驚かされます。人類の歴史を見ても、現代ほどマイノリティに寛容な時代は無いと思うのですが、それでも「結婚願望がない」程度のことが、こんなにも周りを驚かせるのか…と、純粋に驚きます。

私が「結婚願望がない」と口走ったときに、相手からの反応を観察していると、概ね以下のようなものになります。

「まぁそういう人もいるよね」(共感はできない)
「まだ若いからね…」(きっとこれから結婚願望持つよ)
「強がりでしょ?」(本当は結婚願望あるくせに)

結婚願望がある人にとっては、結婚願望がないということが、本当に理解しづらいことなのだなぁ、と思います。逆に言えば私も、結婚願望がある人の心境がよくわかっていません。お互いの間には、深い断崖があります。

結婚観に関する人間観察

人類の繁栄を思えば、私のような人間は少数派であるべきです。その結果、「私」という個人が理解されないことも、マクロな視点で見れば、大した問題ではありません。
ただ、ミクロな話をするなら、「結婚願望がない」という人に対して、理解ができないのは仕方ないとしても、当然のように相手をけなす人が存在することには、首を傾げます。「結婚できない、の間違いでしょう?」「どこかに問題があるんだね」…平気でこうのたまう人が、世の中にはいます。

彼ら彼女らは、結婚=まともな人間のパスポート、と捉えているように語ります。まともな人間なら結婚できる、そうでなければできない…。

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これは認識の体系図です。彼らはAとBの二元論で語ります。更に言うと、Aに属せばまともな人間、それ以外はまともではない人間、という認識がセットです。そして、往々にして、自分はAにいると信じて疑わないのです。
昨今の「結婚したら勝ち組、それ以外は負け組」という風潮も、こういう認識の産物でしょう。

冷静に考えたら、結婚がまともな人間・まともでない人間を分けるリトマス紙ではないことは、すぐ分かることです。(そもそも何をもってまともと言うのか…という議論は置いておき、)まともな人でも諸処の事情により独身を選んだり、既婚者であっても社会的に許されない行為をしたりします。

それでも、一部の人々の中で、上図のような認識があるのは、大局的な認識ではなく、自身の経験に基づく長年の蓄積なのだと思います。自身の両親や、恋人、友達、その他メディアから入ってくる情報…そういったものの蓄積が、彼ら彼女らの認識を形成しているのでしょう。

言ってしまえば、偏見です。

Aに属さない人々へ

上述した偏見のせいで、何かと辛い思いをする場面があると思います。Aに属さないというだけで、自尊心を傷つけられるようなことがあるでしょう。
ですが、それは偏見に過ぎません。もしあなたが普段、周囲の人々を敬い、親切に接しているのなら、その偏見とあなたの実像には何も関係がないのです。

偏見に惑わされず、自分が望む未来にむかって向かって、素直に生きていきましょうね。

「国籍や職業で人を差別してはいけない」ほとんどの人たちがそういう共通認識を持っているのに対し、結婚の価値観に関しての偏見があまりにも当たり前に存在する事、そしてその根深さにはわたしもよく驚かされます。
結婚しない生き方を奨励するという意味ではなく、それぞれが自分と異なる価値観や生き方を自然に認められる社会になったら、生きやすいだろうなあ。