学歴コンプレックスに見る序列への盲従

トフィーです。学歴コンプレックスが起きる原因を解体しつつ、コンプレックス全般について言及してみました。コンプレックスについて考えれば考えるほど、「コンプレックスとはアイデンティティを形成する1つの要素なのかもしれない…」と考え込んでしまいました。

学歴コンプレックスのエピソード

過去の上司は、自分より高学歴な部下を顎で使い、「◯◯大のくせに使えねぇ〜www」と吹聴するのが好きな人でした。わかりやすい学歴コンプレックスの持ち主でした。

反対に、こんな例もあります。
誰もが知ってる一流企業の課長さんが、定年前に会社を辞めてしまいました。
その理由は、「私は旧帝大を出ています。しかし、この春の辞令で、××大(中堅大学)の人が上司になることになりました。許せません」だった、と…。
超高学歴でも学歴コンプレックスを持ってしまうケースですね。

このように、大学を卒業して何年〜何十年経っても、学歴に固執する人達がいます。

学歴コンプレックスが生まれる背景

学歴コンプレックスが生まれる背景は、以下だと考えています。
①国内の大学の偏差値に基づく序列が固定的
②①のために、(ごく一部の)能力を評価する指標としてとてもわかりやすい
③②のために、他人と比較して「優秀」「バカ」のようなレッテルを貼りやすい
④③により他人との比較で優越感や劣等感を抱き、何かトリガーとなる出来事があると、その優越感・劣等感が非合理的な文脈の中で登場する=コンプレックス
例:
・◯◯大学卒業のくせに使えない(←仕事の出来と学力は必ずしも一致しないにも関わらず、「一致する」という前提で語る)
・自分より低学歴が先に出世したから許せない(←出世の評価は学歴ではなく仕事の出来で評価されるのに、学歴を持ち出す)

他のコンプレックスとの比較

世の中には様々なコンプレックスがありますが、学歴コンプレックスは他のコンプレックスと比較して、根深いように思います。

例えば外見や容貌のコンプレックスは、他人からは「気にしすぎ」の一言で一蹴されるようなこともあります。他人から見たら、「どうしてそこまで天パよりストレートにこだわるのか、わからない」と本気で思われていることだってあるわけです。人によってはストレートよりも天パのように動きのある髪型の方が好き、という人だっています。その人の価値観によって、序列が全く異なるのです。

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しかし学歴に関しては、偏差値により、序列が固定化されています。これは個人の価値観ではなく、社会の仕組みによる序列化であり、基準であるため、「まぁ確かに◯◯大学の方が(偏差値が)上だよね」という主張の合理性が担保されてしまうのです。そのために、コンプレックスはますます強化されてしまう、という根深さがあります。

他にもわかりやすいのは年収コンプレックスでしょうか。数値という絶対基準があるので、序列化しやすいです。しかし年収に関しては、「そういう稼ぎ方はしたくない」「今の仕事が好き」のように、自分の価値観を挟む余地もあるので、学歴ほどシンプルかつ根深いコンプレックスにはなりにくいです。

学歴に関しては、社会的な絶対基準に加え、自分の価値観を挟む余地が少ないのだと思います。「どうしてもこの学問をやりたかった」「いや、偏差値が上の◯◯大学にも同じ学科あるじゃん」といった具合になりやすいし、「◯◯教授のゼミにどうしても入りたかった」というような志で大学受験する高校生なんて少数派でしょう。

結果、学歴コンプレックスはシンプルかつ根深いものになります。

学歴コンプレックスに陥る人と陥らない人

もちろん、学歴に対して何の思い入れもない人だっているわけです。というか世の中の大多数がそうです。多少思うところはあったとしても、わかりやすく言動や行動に現れるのは少数派です。
日本人の全員が全員、学歴コンプレックスでない以上、「社会の仕組み」だけが学歴コンプレックスを根深いものにする…という論調は、少々乱暴でしょう。

他にも原因があるのです。それは他のコンプレックス同様、本人の性格や経験といった、属人的な要素なのだと思います。その属人的な要素に、社会の仕組みが絡み合って、学歴コンプレックスの根深さに繋がっているのではないでしょうか。

その序列は何に基づくものなのか?

学歴コンプレックスの序列は、偏差値がベースになっています。天パがコンプレックスな人は、ストレート>天パ、という序列が自分の中にあるからだし、年収なら高年収>低年収、という序列が自分の中にあるわけです。

では、その序列は、本当にあなたが決めたものですか?
あなたの人生経験の中で、他人が決めた序列に、無抵抗に従った結果ではありませんか?

少々挑発的な問いかけで、今回の記事は締めたいと思います。

余談:自分のコンプレックス

ここまで色々語りましたが、「じゃあ私はどうなんだろう?」と内省すると、私の中にもコンプレックスがあります。
それは、ライフイベントの多様性に対するコンプレックスです。
要は、面白くて珍しい経験をいっぱいしている人に対する憧れと嫉妬です。例えば最近だと、日下慶太さん。

電通と組んだ攻めすぎ広告で話題の近畿大学。「でも授業がショボけりゃ意味がない!」と調査をした結果… | Kindai Picks

学生時代はバックパックで旅するのが好きで、ロシアでスパイ容疑で軟禁されて尋問されたり、アフガニスタンタリバンと自転車を二人乗りしたり。そんな生活からいきなり、電通に入社。資本主義のド真ん中で働きはじめました。そして、鬱になってしまったんです。(中略)
僕、そのせいでロシアにはたぶんもう、入国出来ないんですよ。

こういうのを読むと、笑っちゃうと同時に、自分の行動力はまだまだだな、とか、私にはこういう生き方できないな、とか、思っちゃうわけです。

他にも、海外出張が決まったーとか、ブログのお仕事きたーとか、「ライフイベントの変化が多く、それにより新しい経験ができる人」に対するコンプレックスがあります。

自分もそうありたい、なのにこんなに面白い経験はできていない…かと言ってロシアでスパイ容疑かけられるような行動を起こす勇気はない(笑)

きっと、私と同じコンプレックスを持っていない人からしたら、「何でそんなことにコンプレックスを感じるのかわからない」となるのでしょう。普通に考えたら、ロシアでスパイ容疑かけられることとか、羨む要素ないですからね。非合理的な羨望だと、我ながら思います。だけど、私が寝転がってダラダラしている間に、世の中の人はもっと面白い経験をしていて、そしてそれは人生のどこかで活きる糧になるのだと思うと、羨ましくて妬ましくて仕方ないのです。

きっと、私の人生のどこかで、「多様な経験>平凡な経験」という強烈な序列付けがなされたのでしょう。思い当たる記憶として、中学時代にスピーチ大会に出ることが決まった時に、スピーチで有利になるような、わかりやすく非凡な経験を持っていないことが死ぬほど悔しかった…ということがありました。冷静に考えれば、その「経験の多様性」も、スピーチ大会主催者が求めるものであって、私が求めていたわけではないのです。

このときの経験が、今にも根付いて私のコンプレックスとなり、やたら新しいことにチャレンジしたがる気質に繋がっているのかもしれませんね。

学歴コンプレックス、よく見かけますねー。
数値化、序列化しやすい分野においては確かに優劣がつけやすく、学歴が評価の物差しとして使用される機会の多かった人ほどコンプレックスを抱きやすくなりそう。
低学歴の場合だけでなく、高学歴の人がコンプレックスを抱いているの不思議に思っていたんですが、有名大学であればあるほど周囲からそこばかりがクローズアップされる事も、一因となっているのかもしれませんね。
最後に!これはどうしても言わせてほしいのですが、天パコンプレックスにおいては、見た目の問題だけでなく、自分の過ごしやすさや他の物理的な問題などが関わってくるので、天パよりもストレートが優れていると序列している訳ではなくてですね、……あと30分くらい語れそうですが、誰も聞いていないのでこのくらいにしておきます……。

 

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