誰が作った「主人公」?

 

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ドラマだけでなくドキュメンタリーでも、そこには「主人公」が居て、作り手の見せたい「ストーリー」があります。
作り手は誰を主人公にしたらより視聴者の共感を得られるか、どんなストーリーが心をうつかを考えながら番組を作っていくでしょう。
そして私たちは多くの場合、主人公に感情移入し、主人公の目線でその物語を読み進めていきます。

例えば、ドキュメンタリーの主人公が、熊の親子だった場合。長い事食事にありつけない親熊が小熊のために必死で餌を探す姿を応援し、遂にそれを得ることができた時には「やった!」と喜ぶことでしょう。
でももしその主人公が熊の親子じゃなかったら?激流を遡り、必死の思いで故郷の川へたどり着いた直後の鮭が主人公だったとしたら?
きっとそれを見て、可哀そうと涙することでしょう。親熊を「なんて酷いやつなんだ!」と怒りの目で見るかもしれません。
さっきは応援していた存在が、主人公やストーリーの見せ方を変えるだけであっさり敵に変わってしまうのです。

ドラマの中でも、あんなに意地悪で嫌なやつに見えた主人公の恋敵が、主人公を置き換える目線を持つと、ただの一生懸命恋愛している普通の女の子だという事もよくあります。

この事に気付いてから私は、ドラマやドキュメンタリーだけでなく、事実として報道されるニュースの一つ一つにも主人公が居て、そこに作り手の意図する「ストーリー」が存在しているのではないかと注意して見るようになりました。

ここ何ヶ月か連日報道されている角界の傷害事件。最初は局や番組によっていろんな主人公や見せ方がありました。
被害者側の親方を主人公にし、親方の支援者や近しい人からのインタビューを散りばめた報道では、「相撲界の理不尽で古い体制に1人で立ち向かおうとしている親方」というストーリーが描かれていました。暴行した力士を悲劇の英雄として主人公にしている番組もありました。
そうこうしているうちに、だんだんと世間の多くの人の共感を得るような一つのストーリーに固まり、最近はそのストーリーに沿った取材や報道がなされているように感じます。

私は相撲のことは詳しくありませんし、その報道に対して意見したいわけでもありません。なので、この件について詳しく掘り下げる事はしません。
ただ、多くの人が純粋な事実を知ろうとするよりも、自分の好む一つのストーリーに沿って事実をはめ込んでいるように見えて、一方を悪者扱いする意見を嬉嬉として語る姿に、何とも言えない居心地の悪さを感じてしまうのです。

これはテレビの中の世界に限ったことではありません。普段の生活の中でもこのような場面はたくさん存在します。
一方の言い分だけを聞いて、その人を主人公にしたストーリーに踊らされている事はないでしょうか?批判されている相手側がもし主人公だとしたらそれはどんなストーリーになるでしょうか?
感情移入する前に、一歩引いて少し離れたところから見ると、全く別の物語が見えてくるかもしれません。

「主人公」に対する没入感が強くなりすぎると、「あの人(=私)が絶対正しい!」となってしまうんですよね。世の中全ての存在が「主人公」であって、一人ひとり異なったストーリー(=主観)を持っていることを意識して、一歩離れたスタンスでありたいものです。
この「主人公」に対するなつめさんの指摘、更に発展させて、「戦争と正義」とか、そんなテーマでも話せそうですよね。