【小説】もしも経営コンサルタントが主夫になったら

「30代で家が建ち、40代で墓が建つ」--こんな揶揄を聞いたことはないだろうか。これはある大手メーカーの年収と勤務実態を表したものである。しかしこういった企業体質は、他にいくらでもある。その一つが某大手コンサルティングファームだ。
 各国に拠点を置くこのファームで、めきめきと頭角を現した男がいる。名前は斉藤誠。旧帝大学を卒業後、米国でMBAを取得しファームへ入社。脱落者も多い競争社会で、20代にしてプロジェクトリーダーに抜擢され、国内の最大手企業群の案件を指揮した。その後は順調に出世街道を歩み、シニアマネージャー職に就く。業界内でも注目されており、大手ビジネス誌のインタビューでは、尊敬する人物として経営戦略の始祖であるブルース・ヘンダーソンを挙げていた。

 こうした彼の華々しい経歴は、38歳で幕を閉じることとなる。

『次の就職先は、ちょうど不正会計の発覚により執行部が辞任していた某サービス産業の後釜経営者か?それともプライベート・エクイティ・ファンドの役員か?』と噂されていたが、どちらも違った。

 いわゆるベッドタウンにある団地。戦後に建てられたこの住宅群は、当時のサラリーマン家庭とベビーブームを支えていた。今では空き部屋も目立つが、最寄の施設にこの団地の名前が使われるなど、市民にとっては存在感の大きい地域だ。ここが彼の再就職先である。

「キャデラックは車を売っているのではないんだ。ステータスを売るんだ。だからライバルは、他の自動車メーカーではなく、ダイヤやミンクのコートのように、同じくステータスの象徴となる製品を売る企業群なんだよ」
「はぁ……」
 誠は事業の機能的定義について説明していた。経営戦略の基本のキである。これを受講していたのは、この団地に住み続けて早5年の、斉藤莉奈。近所の公立中学に通う少女だ。
 莉奈は誠の姪である。誠にとっても、莉奈にとっても、互いが唯一の親戚だ。誠の両親は他界していた。莉奈の両親は離婚していた。そして莉奈の親権者は母親――誠にとっての姉――であったが、不慮の事故により、先月亡くなった。
 この事態を受け、誠はすぐにファームから去った。最後の勤務地はボストンだった。

「この考え方はね、その会社が今後どういう製品やサービスを作っていくか、一貫した方針にもなるし、その考え方に共感する社員の結束力も高められるんだ」
 誠がこれまでに莉奈に会ったのは、指折り数えるほどしかない。最初は生後7か月のとき、それから3歳のとき。小学2年生のときの正月、小学4年生のときの夏休み、小学6年生のとき。
 当然ながら、血縁関係以上の信頼関係など構築していなかった。というより、唯一血縁だからこそ、今こうして同じ部屋で、ドーナツとコーヒー片手に、向かい合っていられるのだ。血のつながりさえなければ、良くてお払い箱、悪くて通報である。
 一方、ドーナツを早々に食べ終えた莉奈は、とっくに誠から顔をそらし、スマートフォンの画面をスクロールすることに勤しんでいた。

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「会社で働く人というのはね、家族でもなければ、友達でもない。だけど自分たちができることややるべきことをしっかり行うことで、素晴らしい偉業を成し遂げるんだ。例えば今、莉奈さんが見ているSNS。そこの運営会社は、最初数人の大学生が始めたベンチャー企業なんだけど、サービスが大きくなった頃、『信頼できる魅力的な人との洗練された交流の場の提供』と、自分たちのサービスを定義したんだ。だからセンスのいい作りになっているし、実名や経歴の開示を推奨して、それまでのSNSの常識を覆した」
 莉奈はスマートフォンをテーブルに伏せた。誠の位置から画面が見えてしまっていたのが気恥ずかしかったというのもあるし、今自分がフォローしているアカウントの誰よりも、興味深い話をしているのが、目の前の叔父だったからだ。少なくとも「学校外の活動がいかに有益で考えさせられるか」などという日記よりは。
 ようやく莉奈の、透き通りがちな茶色の瞳を確認したところで、誠はオールドファッションの最後の一口を、コーヒーとともに飲み流した。そして5センチほど上半身を前に乗り出す。
「莉奈さんがね、僕のことを親代わりと思うなんて、無理だとわかっている。それに、僕だって、姉の役割を完全に果たせるとは思っていない。だけど、僕は君が大人になるまでしっかり見守りたいし、君としても自分1人で生きていくまでの後見人が必要だ。そうした利害の一致の元に、君と協力して生活を整えたいと思っているんだよ。そのためには、どうして僕たち2人が、同じ団地の一室で共同生活を送るのか、共同体としての機能的定義--もっと簡単に言うと、僕達の共通の目的が必要だ」
「別に……おじさんは私の養育費を出す。私は大人になるまで迷惑をかけずに暮らす。それだけじゃダメなんですか」
「ダメだ。それは結果的に君のためにならないだろう」
「どうして?」
「従順に生かされるだけで、人間は大人になれるわけではないからね」
 誠の含みを持たせた言い方に、莉奈は少したじろぎつつも、眉間に訝しみを隠さず突っかかる。
「つまり、反抗しろってこと?」
「そう。反抗も含めて、自分の考えで生きるんだ」
「じゃぁ、私にお金だけ預けてくれれば、そのお金の使い道考えて生きていくけど?」
「投資だけしろっていうなら、事業計画出してもらわないと。僕が投資したくなる、君の人生の事業計画をね」
「そんなの無理。受験校も決まっていないのに。結局、私はおじさんに飼われるんじゃん」
 莉奈が席を立とうと腰を浮かし掛けた、が、それを許さぬかのように、誠は即答した。
「違うよ。君がちゃんと自分の考えを主張する限り、僕達は対等さ」
 対等という響きは、莉奈の耳に新鮮な響きを持って伝わった。母親と2歳しか変わらない誠と、対等な関係。急に、中学生らしくあることから解放させられてしまったように感じていた。
「考えって……何を考えろっていうの」
「『君はこの共同生活で、どう暮らしていきたい?』」
「どう……?」
 莉奈の目に少しの濁りが生じたようだ。年の割に賢い返答をする少女が、ここに来て急に挙動を止め、空を見上げていた。
「わかった質問を変えよう。『どういう暮らしはうんざり?』」
「……とりあえず、干渉されるのは嫌。気遣うのも嫌。あと料理は完全にお母さんに任せてたから、やり方わからない」
「それを反対にすると、莉奈さんの意思が尊重されて、何でも言い合えて、料理の技術を僕がサポートする。そういう暮らし?」
「できれば家事したくない」
「家事しない代わりに、僕がうなずける提案はある?」
「……ない」
「じゃぁ、分担だ。大丈夫、いきなり一人で晩御飯作れ、なんてことはさせないよ」
 ここまでのやり取りで、莉奈は誠とのコミュニケーションの取り方を理解した。この人は、ワガママを言っても声を荒げて抑えつけるようなことはしないが、理屈を通さなければ却下される……ということを。それは莉奈にとって鮮烈な経験として刻まれた。
「莉奈さん。意志が尊重されて、何でも言い合えて、家事は分担――そういう暮らしをするのに、僕達に必要な精神は何かな」
「必要な精神?主義、みたいなの?」
「そうだね、主義の前につきそうな単語で考えると考えやすいかもしれない」
「うーん……民主?自由?立憲?……自立……あ。ジリツ。自分を律する、で、自律。自分を律していれば、相手の意思を踏みにじるようなことはしないし、相手と対等に言い合えるし、まぁ料理だってしなきゃいけないんだからするようになるよねきっと」
「いいね。お互いに、自律するために、僕達は共同生活を送るんだ。この共同生活を通して、自律的な精神を実践しながら養っていこう」
「うん、そういうの嫌いじゃない。おじさん、面倒くさい人かと思ってたけど、面白いね」
 莉奈は少女らしかぬ、企み事をするように、右の口端を持ち上げた。
「莉奈さんが自分の頭で考えたから、面白くなるんだよ、何事もね」
 一方の誠は、特に動じたところもなかったが、目元を緩ませていた。
「あ、そうそう」と、誠が思い出したように付け加える。
「ごめんね莉奈さん、僕も料理はあまりできないんだ。何なら家事も今まであまりやってこなかった」
「は!?さっきサポートするって……!」
「だから、今日の夕飯は外食でもしよう。共同体成立の記念日だ。ここらへんで一番おいしい店にいこう」
 それなら、と莉奈が進めたのは、299円のドリアが売りの、ファミリーレストランだった。果たして彼女にとっての「一番」がここでよいものか、それとも中学生なら妥当なのか――誠は莉奈の食経験を豊かにするためのKPIを考え始めるのであった。
〈多分続かない〉

トフィーです。2年ほど前に書いていた小説が、読み返したら割と面白かったので、勢い余って掲載。明日になって恥ずかしくなっても知らない。
コンサルタントになるべく中小企業診断士資格の勉強していた頃に、「経営戦略や生産管理の考え方って家庭生活にも応用できるのでは?」と思ったのがキッカケで書きました。ダブルビン法とか、家の洗剤の在庫管理する上でめちゃくちゃ使ってます。